あ、夢だ。だってこの光景は前に見たもの。隼丞<シュンスケ>ものすごく怒ってたな。今も怒ってる。分かるよ、怒るの。でも嘘吐いてまで付き合ってたってしょうがないでしょ。あなたより仕事が大事だよって何回も言って聞かせたじゃない。あなたもそれで頷いてたじゃない。どうしてそんなに難しそうな、不愉快そうな顔をしているの。

「お前に愛されてる実感がない」

 女の子みたいなこと言わないでよ。愛って実感しないといけないものなの? そういう物質的な形態が必須なら愛って醜いね。そもそも口あたりのいい言葉で誤魔化さないでよ。要するにあなたは、久しぶりのデートに遅刻したわたしがいつも通り仕事を口実にしたのが我慢ならなかったんでしょ。急な残業が入ったのをわたしに文句言われても困る。お互い三十歳だよ。世の中は理不尽ばかりだっていい加減に気付いてるよね。だから仕事頑張るんじゃない。仕事も理不尽の塊で、上司は責任を取ってくれないし、営業は事務の子に色目使うばかりで仕事出来ないし、新人はすぐサボることを覚えるし企画は一々連絡が遅いし、だけど、最低限の理不尽には耐えなきゃ生きていけないでしょ。残業だってわたしがやらないと部署が回らないんだもの、やるしかないよ。サビ残じゃないだけマシだと思わなきゃ。

「ワーカホリックだ、お前」

 言うのが遅いね。知ってる。働いてるわたしが一番生き生きしてる。何か悪いの? 自己満足で独りよがりな考える葦<パスカル>よりもわたしはポリス的動物<アリストテレス>を選んだよ。動かなきゃ結果は出ないもの。働かなきゃ生活は出来ないもの。言いたくないけど家賃払ってるのわたしだよ? 生活費だって殆どわたしの財布から出てる。食べさせてあげてるなんて言うつもりない。ただ、これが現実でしょ。わたしが行動してる結果じゃない。

「別れよう」

 急だよ。急過ぎるよ。こんなわたしでもいいよってあなたが言ったのに今更酷いよ。別にあなたのこと嫌いだなんて一言も言ってないでしょ。納期を超えたらしばらく落ち着くの。また山に登ろうよ。あなたが写真を撮ってるところ、わたし好きだよ。あなたの風景の切り取り方も好き。あなたは仕事が嫌いなの? そんなはずないよね。あんなに綺麗な物が撮れるんだもの、好きじゃないと無理。

「お前といっしょにするな。気持ち悪い」

 そんな眼で見ないで。夢だ、夢でしょ。早く覚めて、仕事に、仕事に行かないと。

 軋む瞼を上げ、暈けた視界が次第に鮮明さを増していけば、わたしのベッドに彼ではない彼女が入り込んでいて、それはにゃあと鳴いた。

【ネコノクラシ。】

 親指をこめかみに当てるのが考えごとをする最中のわたしの癖であり、いつもの例に倣ってサムズアップした拳を側頭へ付けた。頭蓋骨の中身が鈍く痛む。飲んだな昨日。それも酷い飲み方だ。わたしが飲むと言うからには昨日は金曜日のはずで、今日は土曜日。休日出勤の予定もなかったはずだ。オーケー、ネクストステップ。

 こちらを見やる女性を見返した。性別に間違いはないだろう。両腕の間に挟まれた乳房が窮屈そうにしている。肩の細さと比較するに、彼女が途方もない巨漢、つまり男性であったという嫌過ぎる叙述トリックは回避出来た。流石に下まで確認する勇気はないが、露わな上半身を見るにつけ、何より整った女性的な顔立ちで性別を同定した。オーケー、ネクストステップ。

 恐らく二十代前半だ。化粧ッ気がないのに肌理細かで、アップに耐え得る地肌である。円らな瞳の形容が似合う眼の大きな女性だった。三白眼のわたしより余程愛嬌がある。顎のラインも刺々しくない。威圧が苦手で協調を得手とする人相だ。こういう手合いを経理担当に一人知っているものの、この子は見覚えがない。血色のいい唇が開きにゃあと呟く。ネクストステップ。並列処理。

 5W1H。ミステリなら2W1Hだ。現状必要なのは四つの変則W、即ち彼女がWho<ダレデ>、What<ナニデ>、Why<ドウシテココニイルノ>。補足としてWhat<ワタシナニカシタ>が挙げられる。この辺りでテキット。こめかみの指を外して人差し指で銃を模す。不躾に彼女へ突き付けての尋問を始める。

「お名前は」

「にゃん」

「猫ですか」

「にゃー」

「作戦目的とIDを教えてください。模範解答は『正義 仮面ライダー2号』」

「にゃに?」

「あー……おけ。アイシー」

 少なくとも『仮面ライダーSPIRITS』を読んでいないことは分かった。他にはこちらの言葉を理解していることと、飽くまで猫キャラを貫こうとする意志と、つついたらボロを出しそうなこと、か。『いぬのおまわりさん』もやってみるものだ。わたしが逮捕されるような真似は多分していないと思うけれど、猫以外には鴉も雀もおらず尋ねる宛てがない。

「にゃっ」

「……あの、子猫さん? 人が考えている最中にハグは止めなさい」

「んにゃーん」

 軽い割に裸体はしっとりとわたしに纏わりついた。絡まる腕を掻い潜ってわたしはオリジナルの考える人<ロダン>をやる。嫌われてはいない風だから、酔いに甘んじて見ず知らずの女性を自室へ連れ込み強姦したという、女にあるまじきエピソードを棄却する。いや、早いか? 剥き出しのわたしの腿へ彼女の下の毛が柔らかく擦れる。和姦の発生した恐れがあった。お互いが全裸である必然が他に見当たらない。落ち付け祀<マツリ>。記憶野へ回答を求めろ。頼りのリソースはそこにしかない。

 飲んだ、飲んだよね。三軒梯子した。みっともない千鳥足だったと思う。常連店が気分転換にならなかったから最後は知らないバーへ行った。店名は『アンダテイカーズ・オピニオン』。オーケー、いい具合に思い出してる。

「みぃ、みぃ」

「胸を揉まない。あなたの方が立派なのが地味にショックだから、年上を労わりなさい」

 隼丞より触り方が上手なのもなかなか驚きだ。遊び慣れていない彼の愛撫は嫌いじゃなかったけれど、何にせよ、二十代の同性に乳を揉まれるのはどこか虚しい。

 ああ、そうだ。ハプニングバーと言う奴だ。入ったらステージの上で女性同士が事を始めていて、その時のわたしは意味も分からずに拍手喝采していた。「いいぞー!」ってストリップの声援じゃないんだからねわたし。オジサンじゃないんだからね、オバサンでしょ。辛いのでネクストステップ。

 セロリスティックをパキパキ齧りながら、わたしは公での情事に見惚れていた。レズビアンという単語に対するどこかイヤらしいものだとする認識は彼方に飛んで、「綺麗だな」であったり、「羨ましいな」であったり、言葉を尽くして絶賛していた。

 そこで鋏が鳴った。

「ふにゃ……」

「舐めるのはNGです。ちょっと落ち着いて」

 猫の舌が肩へ触れたのを野放しにしておくことは流石に無理だった。彼女を引き剥がし、布団で素巻きにする。非難がましくにゃあと鳴いた。ジャスタモーメン。

 鋏……そう、鋏。金属の二枚刃が耳の側でシャキと鳴った。「ああいうことに興味があるの? 想像してご覧。君が役者として彼女たちと踊る場面を」。わたしは慎重に振り返った。大振りな銀色の鋏を携えて、チャイナドレスの女が微笑していた。わたしへ向けられていたはずの鋏は今や赤カブに走り、飾り包丁宜しく果肉を削り取っている最中だった。だから、彼女は客ではなく店員だと思った。

「うーん……想像し辛いですね。女のひととあんな関係になっているわたしが思い浮かびません」

「そう。残念だね。君をスカウトしてみたかったのだけれど、本当にその気がなさそうだ。熱心に見ているものだから勘違いしてしまったよ。想像力不足で申し訳ない」

 鋏の女は細い目をいっそう細くすると、派手にカブを裁断した。大きな欠片が皿へと落ちる。わたしの注意は彼女の手へ注がれた。潔癖なのか、ゴム手袋をした、だのに器用な動きを見せる手へと。流れる手つきに誘われて、わたしの『理由』も淀みなく零れた。

「振られたんですよ先週。きっとわたしはあのひとたちが羨ましいんです」

「女同士でも、かい」

 女の手が止まった。わたしが目線を上げれば、考えの見えない狐目に見据えられていた。彼女の気分を害するかも知れなかったが、こめかみに親指を当てたあと、わたしは本音で答えた。

「きっとわたしは、男性でも女性でも、どっちでもいいんです。ただ側にいてくれて、わたしの話を聞いてくれれば。そんな資格がないのは分かっていても、やっぱり、求めずにはいられません」

「……性器主義をクリアしているのか。勿体ないな。エリクス・モダンは君みたいなのを歓迎するんだが。想像するに、君、仕事が出来るひとでしょう。惜しいね、惜しい人材だよ」

 女が感慨深げに言った。それは褒め言葉に違いなかったけれど、わたしを自虐的な気分にさせた。

「仕事は好きなんですよ。わたしの確かな居場所です。そこにかまけてしまうせいで、恋愛はいつも失敗します。男のひとは、ううん、女のひとも、『あなたより仕事が大事です』なんて言われたくないですよね。自分の中でははっきり言わないと失礼なことなんですが、言ったら言ったで失礼なのも分かってはいるんです」

「正しいひとだね。正しく不器用だ。全く好みだね。不器用なひとほど美しく育つ。この飽食の時代に、金と欲と食で豚のように浅ましく肥えていくような人間は、みな死ねばいい。そんな連中はエムの娘にはなれない。動物のまま等しく死ねばいい」

 鋏がカブに突き刺さり、抉り抜いた。彼女が何を憎悪しているのかわたしには理解出来なかったけれど、真っ直ぐに、歪んでいる気がした。女性たちの艶めいた声が響く。わたしは二杯目のピニャ・コラーダを吸って、それとなくセロリを噛んだ。

 余計に思い出し過ぎている。女は『エリクス・モダン』と言う名のショットバーを経営していて、自身をハサミと名乗った。わたしが見知らぬ女性と添い寝した結果はどの行動に依拠している? ハサミと交わした会話に答えがあったはずだ。猫。そう、わたしは猫を飼ってみたいと漏らした。「部屋が独りだと広くて心細いんです。猫でも飼ってみようかなと思うんですよね。これ、思いつきで言ってますが。動物なんて飼ったこともないのに、良く言うなぁって、自分でも呆れてるところです」。こんな風に笑ったわたしを眺めてハサミは何事か思案していた。その頃には、カブはすっかり羽を広げ、飛び立たんとする鶴になっていた。「酢漬けにしたら赤羽になるかね。想像してご覧。白を蝕まれて赤くなっていく鶴を。もっとも、酢漬けじゃあ格好の付け甲斐がないね。本物の鶴が飼えたら虐待紛いの色付けも施してみたいものだ」。これが起。前述のわたしが承。「飼ってみたらどう。丁度あたしの所に一匹、あなたが気に入りそうな奴がいてね。あたしの手も離れたがっていることだ、里親探しの手間が省けると助かるんだがね」ハサミが転がしてわたしが結んだ。二つ返事で提案を受け入れた。初対面のハサミと長話をする程度にはわたしは孤独だったのだ。オーケー、アイゴティット。ハサミの言う『猫』がこの子だ。

「いやいやいや、オチてない」

「んにゃ?」

 猫がわたしの自問自答に小首を傾げた。よくよく見れば、彼女の首には黒いベルトが嵌まっている。アルファベットのCがハイビスカスめいてぽつりと朱に咲いていた。

「シイ?」

 彼女が得意げに頷く。猫か人間かはさて置き、彼女の呼称はシイで確定した。イニシャルかニックネームか本名かは定かでない。呼ぶのに困らないのは幸いだが、首輪の付いた女の子を監禁すると犬のおまわりさんが、もといヒトのおまわりさんがやって来る。何とか丁重にお帰り頂く方法はないものか。わたしの親指が上がる。

「言葉分かってるでしょ?」

 目が泳いだ。遅いって。『正義 仮面ライダー2号』に「にゃに?」って返す猫はいないって。ナズェハンノウスルンディスダヂャーナザーンだって。……あれは、カツゼツが悪くてヒトですら反応出来ないか。

「ね、お腹すかない?」

「にゃっ」

 ほら応えた。完璧にヒト科だ。オーケー、ネクストステップ。馬鹿げた遊びは止めさせよう。彼女がどこまで本気かは不明だけれど、嫌がらせをして追い出してしまえばいい。三十にして姑、蘭祀<アララギマツリ>である。ナウローディング……。

「キャットフード、はあるわけないし、女の子に動物の餌を食べさせる趣味もありません。そこで――シイにはご主人様の分も含めて二人分、調理してもらいます。キッチンと冷蔵庫、および食材と調味料の使用を許可。それと、未使用の下着はそこの棚の中にあるから、好きなの履いて好きなの着て、勝手に出て行くのも許可。アンダスタン?」

「にゃうー」

「おけ。ドゥイッ!」

 わたしの掛け声に合わせてシイが勢いよく飛び出――たら猫ポイントが高かったのに、もぞもぞ布団を這い出して、ベッドの上で三つ指付いて、わたしに布団を掛け直してくれた。

「やり辛いなぁ……」

 なんかもう、色々めんどうになってきたわたしは、彼女へ背中を向けて寝直すことに決めた。シイが冗談でやっているのは明白であり、すぐにでも出て行ってくれるのを望む。仮に料理を作ったとしても何癖付けるのが姑の仕事だ。火事にさえならなければどうとでもすればいい。

 シイが意気揚々とキッチンへ足を運んだから、今の所遊びを止める気はない様子だ。あなたが逃げ出すまでは付き合ってあげる。わたしは目を閉じて睡魔を導く。寝付きはいい方だし簡単に眠れる。

『別れよう』

 ……あの夢の続きを見たくない。現実として続いているものを、何も、まどろみの中で再現しなくてもいいではないか。あんな男のことは早く忘れてしまえ。わたしのことが気に食わなかったんじゃなくて、他に女が出来ていたからそっちに靡いた浮気男に心を痛めても詮ない。悪いのはわたしじゃない。彼が勝手に離れて行っただけだ。わたしより素敵なひとに付いて行っただけだ。

 それはそれで、悲しいよ。

「にゃーにゃー」

「っ! にゃ、にゃーに?」

 移った!? オウ、ジーザス。シイがわたしの肩を揺する。顧みればそこには、フリル付きの真ッピンクなエプロンから零れ落ちそうな豊乳が、ものすごい存在感を誇張していた。偽アメリカンのわたしなんて鼻で笑われるアメリカンサイズだった。

「にゃい」

 しかし彼女が主張したかったのはシャモジと超美撰<ショクパン>であるらしい。和食洋食って言いたいの? 隼丞はコーヒーにトースト、時折サラダやベーコンエッグを加えたり、シリアルやクラッカーで済ますこともあった。わたしも彼に合わせていたけどね、白いご飯におみおつけが並んで、甘塩鮭や納豆なんかが添えられてる方が好きなんだ。俯き加減にシャモジをつつけば、シイは満足そうににゃあと答えた。わたしは『猫も杓子も』って諺を思い出しながら、「杓子は杓文字<シャモジ>で主婦を表し、猫も主婦も家族総出となることが語源である」という眉唾を芋蔓式に引っ張り出した。杓子代表は寝そべり、猫に家事を任せているとはこれいかに。何にせよ、朝食だか昼食だかを作る手間が省けたと、内心ほっとした。退室する餅肌のお尻を無意識に見送る。

「……ないんだ、尻尾」

 お尻が消えるに至りわたしは仰向けになった。エプロンは持参しているのに下着は持って来てないのか。そんなわけがない。普段はどんな服を着ているのかな。バストがあるから、ワンピースは似合わないでしょ。その割にウエストは細くてヒップは小さくて、背も低いとなると、うーん。

「いや、とりあえず今は裸エプロンに突っ込むべきでしょ。せめて下は履こうよ……」

 若い子の余裕は嫉妬を通り越して眩しい。あれぐらいの歳の子がエプロン一枚で手料理を作ってくれるなら、男性は大喜びに違いない。三十歳にもなるとその格好がプラスかさえ怪しい。女というだけでちやほやされるのは二十代まで、頑張りを褒めてもらえるのも二十代までだ。わたしはもう大人になってしまった。スれて、寂しくて、生きて行くのが上手な大人になった。生き甲斐がなくても働けるし、結果は無理やり作る。見返りがなくても仕事だからとやり過ごせる。

 でも時々やり切れなくなるから、隣に、誰か居て欲しい。隼丞が早々に荷物をまとめて彼自身も出て行った部屋は、人一人分以上の空白が出来た。洗面台はコップひとつとは思えないくらい空いている。食器棚は悲しい隙間が散り散りにある。二人で寝ていた寝室だけが、随分前からわたしでいっぱいになっていた。生活時間帯も体もすれ違うようになったわたし達は、別々の部屋で寝るか、どちらかが帰らなかったりした。もしかしたらそれが不貞のサインだったのかも知れない。わたしは彼を繋ぎ留めるための努力が不足していたのかな。休日はなるべく二人の時間を取るようにして、彼が好きな料理を作ったり、写真を撮るのに付き合ったり、ウインドウショッピングに付き合わせたり、あなたが笑顔だったから、わたし、勘違いしてたんだね。あの日だって、一生懸命仕事して、最初にメールで告げた時間より一時間早く片付けたけど、会社にとっては当たり前のことで、あなたにとっては、もう、どうでもいいことだったんだね。誰もわたしを褒めてくれないんだね。

 あ、泣きそうだ。フィルソフリー。落ち着こう、大丈夫、わたしがわたしを褒めるから、頑張れ。

「シイはこんな大人になっちゃいけないよ。猫のマネなんてしてる暇があったら、早くいい男捕まえて、幸せにならないとダメだからね」

 可愛さが武器になる内に、猫になればいいんだ。愛されて、撫でられて生きて行く、猫になればいい。「結婚は人生の墓場」なんて陳腐な文句、わたしは嫌い。だってわたしはお嫁さんになりたかった。母みたいに家を支えて夫と子供を守る、専業主婦になりたかったよ。でもそういうのは古いんだって。そういう幸せを求めると前時代的だと笑われるか、怠慢だと叱られるかで、わたしの居場所はなかった。気が付いたらまともに就職していて、まともに働き続けて、働くのが好きな、現代日本にふさわしい女ですが、これが幸福とは思えません。

「ドンシンキン。ムーブ、ムーブ、ムーブ……」

 いつもの呪文で起き上がろうと思ったら、シイが戸の隙間から覗き見ていて赤面余儀なくされた。にゃいっ。多分猫的にはファイトのつもりなんだ、あれ。恥ずかし過ぎて布団の中で丸くなって、わたしも猫だ。

■ ■ ■

 誰だっけ、このひと。温かくて柔らかくて落ち着く。髪からコンディショナの甘い匂いがする。少し違う香りになってるけど、多分同じの使ってるよね。普段は別々のシャンプー使ってるから変な気分。うっかり間違えたのかも知れないけど、匂いぐらいの簡単さで近くなれたらいいのにね。そしたらちょっとだけ、分かり合えると思うの。んっ、くすぐったい。首は弱いんだからあんまりしないで。くすぐったいったら。あ、やめ、やめてってば。

「やめなよぅ……んあぁっ! ちょっと、ストップ! ジャスタモーメン! プリーズ! プリーズって言ってんでしょ! この――」

 誰だっけ? 馬乗りになった彼女を見上げる。なんだシイか。エプロンどこにやったの。あと下着履こうよいい加減。その、薄いからモザイクないと危ない。ピンクの部分が隠れてない。上と言い下と言い。

「にゃ……」

 わたしの視線がいよいよ本格的になると、シイは両手で体を隠した。一応恥ずかしかったんだ。着ていいって言ったじゃない。全く、猫の考えることは分からない。

「と言うか、わたしもマッパでどれだけ寝てんのって話か。ソウリィ……」

 誰かしらに謝って、ふと、わたしは考えるポリス的動物のポーズを取る。なるほどこれがヒントか。果たして人魚は泡になり、猫はヒトになるのだろう。オーケー、ネクストステップ、に行くのは最後の手かなあ。だって、散々裸見てるのに欲情しないんだもの。女同士だしね。ただ、必要になったら、捻くれた今のわたしは反則技を使う。マシンガンズのナンバー、『Operation Tiger』から引用。ちなみに猫パンチは『TEKKEN2』。

「にゃにゃ、にゃにゃにゃにゃにゃ」

「あーはー……猫語難しいアルね……」

「にゃにゃ、うー、にゃいにゃい」

「分かってますって。ご飯作ってくれたんでしょ。ありがとう」

 必死に身振り手振りするシイの頭へ手を乗せて、お礼のいい子いい子をする。うなう、と何やら気持ち良さげに鳴いた。しかし繰り返しになるが、捻くれた今のわたしは反則技を使う。使いかねない。だって、ねえ? 人間は会話する動物でもあるんだよ。

「わたしは着替えますけど、シイは猫だからそのままね」

「……にゃい……」

 軽く意地悪すると、従順に、僅かに唇を噛んで頷いた。そろそろわたしが振り回すステップに突入する予定だが、予定は未定である。わたしは残忍で冷酷な姑であるからして、ちゃぶ台をひっくり返せば概ね事は足りているのだ。星一徹直伝の、姑養成ギブスの力を見せてやる。ソウリィ、そんなのないない。

 精一杯の見栄を張って、透かしの多い扇情的な下着を選ぶと、その上にコットンパンツと七分袖のカットソーを着て着衣と言う文化を獲得した。シイがやけにそわそわしている。その手を取って、狭くなった寝室を出た。

「わーお」

 猫語を喋る割にテーブルではまともな食卓を演出している彼女だった。メニューは茹で豚と小松菜の味噌和え、ちりめんじゃこの入った卵焼き、きゅうりと人参の……何だろう、漬け物? そこに具だくさんのお味噌汁とご飯が同居しており、立派に和食の様相だった。正直、全然期待していなかったので、感動してしまった。

「有り合わせでよく作れたね……お姉さん少しビビった」

「にゃう!」

「だけどお姉さんはお姉さんであると同時に、姑でもあるんです。さあお掛けなさい嫁よ。ウチの敷居を跨ぐからにはそれなりのスキルを求めさせてもらいます」

「にゃい」

 シイとわたしは向かい合わせでイスに腰かけた。良く考えたらちゃぶ台じゃないね。それに気合いでテーブルひっくり返しても、後片付けするのわたしだね。星一徹、封印。

「箸置き使ってくれたんだ。律儀……え、お茶? ごめんね、ありがとう。……えっと、頂きます」

 急須からお茶をついでもらい、ちらとキッチンを一瞥すれば、既に洗い物も片付いている様子で、突っ込みどころのなさにいっそ突っ込みを入れたかった。やり場のない手が箸を取り、その後お料理万歳になった。逐一叙述すると本当にお料理万歳になってしまうから大雑把に言うと、何を食べても美味しくて、特に『飲む味噌汁』ではなく『食べる味噌汁』を作っている点と、卵焼きに砂糖と塩が両方入っている点と、和えものにかかった味噌ダレのレシピが気になった点と、きゅうりの漬け物に至っては全般的にレシピが気になった点と、掻い摘んでも結局お料理万歳である。起き抜けなのに恥知らずにもおかわりしました、ソウリィ。

 料理自体が美味しいのもあったけれど、眼の前でにこにこしながらいっしょに食べてくれるひとがいて、彼女が全裸なのは幾分滑稽でもあったとは言え、とにかく、嬉しかった。だから、もっと、ずっと美味しかった。姑、封印。

 食後にまたお茶を出されて、わたしはゆっくりそれを飲んだ。シイは背中を向けて伸びをすると、頼んでもいないのに片付けを始める。頼んでないのに。彼女は何の罰ゲームをやらされているんだと思った。赤の他人に甲斐甲斐しくして、どんな得があるんだろう。彼女はハサミとどういう関係で、わたしに何を求めているのか。四つの変則Wは一つも解けていない。彼女はわたしに何一つ説明していない。

 光さえ放ちそうな卵肌の背中を眺め、問いかけたら答えてくれるかどうかを思う。人魚姫は言葉を利くと泡になって消えるが、彼女はヒトになると消えてしまうのだろうか。それは手っ取り早く彼女を消し去る魔法なのかも知れない。しかし、彼女が誰であれ何であれ、わたしと添い寝してくれたのは事実であるし、スーツが皺になるから脱がせてくれて、クレンジングペーパーでメイクを落としてくれて、料理も、目覚ましも、全部やってくれたのは本当だ。きっと素敵なお嫁さんになるに違いない。

 わたしだって家事は好きだ。通り一編を人並み以上にやれる自信がある。でもシイには敵いそうにない。こんなに甲斐甲斐しく振る舞えない。彼女はわたしよりお嫁さんに向いている。

 皿が互い互いに打ち合って、優しいメロディを刻む。ああ、いいなぁ。洗い物を誰かにやってもらうなんていつ以来だったかな。最後に手料理を食べさせてもらったのは何年前かな。家事を分け合える彼氏なんていなかった。なまじわたしが得意なものだから、任されるのも当然だと思っていたし、そこに取り立てて不満はなかったけれど、やっぱり、作ってもらったご飯は美味しくて、あったかい。

 不意に零れた理不尽な涙は、彼女の正体と同じように、単なる謎の一つで片づけてしまいたかった。潤む目を見られたくなくて、掌をアイマスクみたいに広げると、こめかみを親指で押した。寂しい、弱い女です。たったこれだけの優しさで泣ける女です。わたしが何故泣くのかと言えば、多分に羨望で、それは彼女のようなお嫁さんになりたかったのと、彼女のようなお嫁さんが欲しいのと、滅茶苦茶な感情だった。都合のいい飯炊き女を求めていると誤解されたくない。ただ、わたしは少しだけ、想像した。ハサミの口癖のように想像した。わたしが精一杯働いて帰ったら、いつもこの子がいて、優しくしてくれるのを想像して、わたしがなりたかったお嫁さんをしてくれるのを想像して、そしたら自分が酷く図々しい、浅ましい女に思えて、所詮想像だと言い聞かせたら、もっと悲しくなってしまって涙が出た。止まらなくなって、わたしは水だった。

「ね、シイ。もういいよ。全部優しい嘘だから、もういいよ。洗い物、そのままで、いいから、もういいから。猫のまんま帰って。ハサミさんのところに帰りなよ」

 テーブルを汚しながら言った。シイが食器を置く音が聞こえる。やっと帰ってもらえると、仮染の安堵で胸を満たして、押し出された本音がまた水になった。嗚咽ともしゃっくりとも形容し難い、恥ずかしい鳴き声でわたしは泣いた。

「……かわいいんだ、お姉さんたら」

 言葉と腕がしなやかに滑り込んだ。わたしを背中から抱擁した彼女は、猫を止めて、ヒトの言葉で囁く。右手が取り上げられる。手首の内側でキスの音がする。わたしは頗る混乱した。

「『恋慕 仮面ライダー思唯<シイ>』。夢は年上カノのお嫁さん。こんな感じかにゃ……?」

「冗談、やめて……んんっ! 首は弱いからだめ……」

 彼女の好意がフェイクではないと入念に教え込まれる。彼女の唇の跡がきっと、幾つも、幾つも付けられて、わたしも首輪の嵌まった猫になる。今度はわたしが猫にされる。

「この猫仮面……かえれよぅ……うー……ぐずっ」

 睨んだらそれなりにハクがあると定評の三白眼も、涙まみれでは役立たずだ。ついでに持ち主が骨抜きだから格もない。こちらが弱っているのに付け込んで、シイはしなだれて甘えた。

「祀さん、思唯、帰りたくないの……祀さんともっと仲良くなりたいな。ダメ?」

「わたしはヤだ……あんたみたいな猫、いらない……嫌い……」

「嬉しかったくせにぃ。素直じゃないなぁ、もう」

 シイの指がわたしの冷たい水を掬う。わたしの本心に触れて労わる。『ラフ・メイカー』だ。こんなモン呼んだ覚えはない、構わず消えてくれ、そこに居られたら泣けないだろう?

 それに、信じた瞬間、裏切るつもりなんだ。猫がわたしの涙を舐める音が嘘っぽく響く。猫に捨てられて捨て猫になるのは真っ平だ。

「やめようよぅ……わたしは仕事に生きるの。仕事が一番大事なの。仕事で、いっぱいなの。あんた飼う余裕、ないよ……」

「放蕩カレシを養ってたも同然だって、ハサミ姉様が言ってたよ? 思唯はさびしがり屋のご主人さまへたくさんご奉仕しちゃいたいんだけどにゃー……?」

「わたしじゃなくても、もっといいひとが見つかるよ」

「今目の前にいるひとがいいんだもん」

 腕が首へと抱きついて来る。何重にも首輪が巻かれていくのが怖い。こんな、行きずりの猫に拾われるのが怖い。わたしは震える手を頭の横へ置く。どうやったら帰ってもらえるか、頑張って考えるんだ。目を閉じる。呼吸を落ちつけて気持ちも鎮めようと努めるのに、シイの唇がわたしを塞いだ。

「っぁ……や、ぁ……」

 それは闇雲に柔らかく私と重なり、服従を強いる。わたしの隙間を甘く満たしていく。この子なら隼丞が抜けた空白を埋めてくれるんじゃないかと言う期待が芽生える。醜い花が咲いて死にたくなる。首を振って拒んだ。エゴイスティクなわたしの欲望に彼女を巻き込みたくはない。

「わけわかんないよ。からかうのはやめて。わたしがいいって言うけどね、わたしのどこが好きなの? 仕事中毒のオバサンだよ。なんにもいいことないじゃない。シイもあいつと一緒で、幻滅して、出て行くんだ。辛い思いなんてしたくない……」

「それこそわかんないよね祀さん。悲しい別れをしたひとは、一生それを繰り返すの? ふたりで楽しい夢を見ようよ。祀さんのこと、好きにならせて。今はまだ、『可愛い』くらいしか好きな所が見つからないケド……思唯にチャンスをくださいな……」

「だけどね、でも……あっ」

 横向きの顔がシイに抱えられる。優しい膨らみへ沈んで包まれる。彼女の指がわたしの髪を梳く感触共々、わたしの拘泥を洗い流す。

「ドンシンキン、ムーブ! でしょ?」

 わたしの魔法を彼女が紡ぐ。思考することは正しいけれど、最後は走らなければどうしようもないのをわたしは知っている。それに、スタートラインでぐずぐずしているよりかは、足を出した方が、早いんだ。

 これでも、走るのは結構得意なんだ、わたし。

「……May I help me?」

 彼女の谷間から見上げて問えば、最高の笑顔と発音で返答があった。

「Sure!」

「お、おう……あいしー……」

 恥っずいなあ、この子。わたしも同じくらい乙女だなあ。まだまだ若いね三十代。始めてみようか新しい恋、強引に訪問して来た、この猫と。わたしはようやく、自分からシイへと手を伸ばした。剥き出しの背中をそっとひと撫でする。

「ひゃっ」

 途端に頓狂な声が上がった。何か間違いをしでかしたのではないかと、わたしは全身を硬直させる。目だけで彼女を伺い見たら、束の間視線が交差してから、相手の方が横へと逸らし、瞬きすること二度三度だった。試しに腰をくすぐってみる。黄色い声が控えめに弾ける。

「……シイ?」

「はいっ!?」

 やけに畏まって名呼びに応じる彼女だ。オーケー、アイゴティット。女性を相手になんてしたことはないが、使ってみようか、反則技。わたしは瞼を軽く拭いイスから発った。

「捻くれた今のわたしは反則技を使う」

「え?」

「シイがスイッチ入れたんだからね。おいで」

「あ、え、あの……」

 彼女の戸惑いもどこ吹く風、手首を取って寝室に戻る。親指が軽く押す彼女の脈は、そこはかとなく早めに打っている。いつでも振り解ける力で握っていたのに、彼女は大人しくベッドまで付いて来た。

「祀さん、反則技ってなに?」

「んー、いやね、シイが猫語しか使わないまんまだったら、『Operation Tiger』ならぬ『Operation Human』でもって、『3×3 EYS』で言えば人化の法をかけて……『必ず君を人間にしてあげるよ』みたいなことをやろうとしてたんだけど……うん、わかってない雰囲気だね。お姉さん大体知ってた。要するに」

「んぁっ! 祀さ、ぁん」

「喘がせたら、猫キャラ剥げちゃうかなーって思ってたのね。アンダスタン?」

 肩から肘にかけて緩く往復すると、シイはその先にある掌を拳の形に丸めた。全身性感帯気味の彼女の声や態度は、段々、わたしを乗り気にさせる。『Operation Tiger』だ。わたしは虎に、なるのだ。なれるかな? ドンシンキン、ムーブ、ムーブ。わたしの意図を解したシイは、俯いて沈黙を保つ。オーケー、ネクストステージ。ワイングラスを持つように穏やかなラインの頤<オトガイ>を持ち上げれば、僅かな怯えと多くの潤みに濡れた、どんぐり眼がわたしを見た。

「にゃあ、って鳴いてご覧」

「ん……にゃあ……」

 なんで今更、とばかりに躊躇いがちな鳴き声を上げる。確かにそうなのだけれど、折角だし試してみたいじゃない。

「それ以外禁止ね。スタート」

「えっ、え!? ――っ」

 簡潔にルールを述べてからキスする。反論する暇なんて与えなかった。今まで重ねてきたどの唇よりも柔和で優しいそれを、私自身のもので挟んだり、舌でくすぐったり、静かに堪能する。シイの腕がわたしの腰を、抱くと言うよりはすがる形で捕まえる。押し付けられたふたつの膨らみも柔らかくて、わたしは不思議な気分になる。同性って、柔らかいんだ。そんなに嫌いじゃない。むしろ好きかも。シイの唇が淡く呼吸するその中に、わたしは舌を差し入れる。先端同士を触れさせ合って、出てくるように促せば、短い舌を精一杯伸ばして応えた。交わらせて、一緒に踊らせながら、胸奥<キョウオウ>のさざ波を遊ばせる。心地良さに揺れる。

「ま……ひゅり、さ……」

「にゃあ、でしょ? 猫仮面さん」

「ぅ……にゃ」

 うっとりと呟く彼女も、同じ喜びに浸っていることを望む。わたしと彼女の味が十分に溶け合ったあと、砂糖細工のようにふたりしてベッドへ崩れた。溶け残った塊がわたし、これからもっととろけていくのがあなた。覆い被さり肩を吸うと、彼女はにゃあと鳴いた。オーケー、その調子だよ。ご褒美に胸を撫でてあげれば、先端はすでに硬く腫れあがっていた。四本指が順々に掠めて行って、シイの切ない声を奏でる。でもそれは、早速ヒトに戻っている。

「シイ……? さっきはもっと上手に鳴いてたでしょ? ヒトになって欲しい時は猫のまんまで、今度は逆なんだ。あまのじゃく……」

「だって、祀さんが、こんな」

「にゃあ」

 小鳥へ餌の取り方を教える親鳥みたいに、子猫へ鳴き方の見本を提示する。彼女の唇を指でなぞると、お詫びでもするようにちろちろ舐めた。

「……ご、ごめんにゃさい……にゃ……」

 なんか変態チックでヤバイにゃ。移ってる移ってる! あーもう、何がしたいのか分からなくなって来たぞ。シイの胸、ふわふわして気持ち良いけど、このサイズは女として敗北感溢れるぞ。そしてどこまでやっていいものか不安だぞ。そろそろ止めておこうかと思いつつ、つい指を動かしてしまう魅惑の柔らかさ。男性がやたらと胸を揉みたがる理由がなんとなく理解出来た。……あんまり嬉しくない。

「にゃ、にゃん……あんっ」

 シイが本気で喘ぐものだから、釣られて彼女の顔へ眼が行った。わたしに怒られると勘違いしたのか、彼女は両手で口を塞ぎ、潤む目で謝罪を訴える。耳が熱い。わたしも結構、本気だ。

「そうしておけば無理に鳴き声作らなくてもいいか。シイは賢いね」

 こく、こくと首肯する彼女の乳首を摘んで、瞳を覗き込むと、逃れるように瞼を閉じた。僅かに痛む程度に引く。押し殺された声は、幾分桃色がかって聞こえた。肌の桃色も濃さを増している。本当に可愛くて、わたしの動機も増していく。

「でもシイがそうしてると、何されても抵抗出来ないよ? ここ、見られちゃうし、触られちゃう」

 シイの下腹部に生えた和毛<ニコゲ>を、探る手つきで掻く。腰がくねる範囲も高が知れているから、彼女の短い下生えは、始終わたしの手の中にある。細くて柔らかくて頼りない、彼女の飾り毛。

「男としか経験ないから、じっくり見たことないんだよね。シイので勉強させてもらおうか。もちろんちゃんと開いて、奥まで見せてもらうからね」

 シイが必死でいやいやする。彼女の目が閉じてて良かった。無理だもの。……無理だって! 女同士のやり方とか分かんないって! 考えるまでもなく最初からクライマックスだったって! ああ、ジーザス、デンライナーに乗せて反則技を使う前の時間に戻してくれませんか。アイマチキン。ソーチキン。胸はともかく下は無理だよぅ……ジーザスぅ……。ほら、シイもわたしの手を掴む。オーケー、嫌がってもらう方が都合がいいの。飽くまで彼女が邪魔したことにして、わたしはそっと軟毛<ヤワゲ>を手放す。お姉さんのお姉さん足る由縁を思い知ったか! などと大口を叩く前に、彼女はわたしの手を導いた。彼女の熱い部分に。キスみたいな、キスより恥ずかしい音が小さく生まれた。それは、わたしの指が彼女の女性に触れた音。彼女が感じているのを証明する音。

 いやいやいや、ジャスタモーメン! わたしの悲鳴が喉元まで来ている。でも、シイが涙目でわたしを欲したから、野暮な言葉を全部飲み込んで、濡れ花へ指を添えた。怖い。これが男のアレだったら、かなりの無茶を許してくれそうな逞しさなのに、同性のそれは脆くて壊しそうで怖い。わたしの手が動きあぐねているのを知ってか知らずか、シイは腰を浮かせて擦りつけて来る。指が震える。粘膜が快感<ヨロコビ>欲しさに吸いつく。ごめん、無理だよぅ。絶対痛くしちゃう。自分のしかしたことないんだから、勝手がわかんないよ。

「みぃ……みぃ……」

 シイが両手でわたしの手を握る。してくださいっておねだりしながら、わたしの指で独り遊びを始める。流石に、責任、取らないとダメか。ううん、わたしがしてあげたいんだ。そもそもの違和感が判明して多少勇気づく。手の方向がね、良くないの。アイシー。

 シイの背中に片手を入れて、そのまま体で割って入る。横向きに並んで添い寝する格好になる。これならだいぶ近い。わたしが時々する要領で、ひとつ前にある体を愛撫してあげればいいんだ。中指を姫割れに食い込ませると、切なげににゃあと鳴いた。わたしの意思を汲んで、彼女の手は自由になる。もがくようにシーツを掴んだ。

「痛かったら言ってね……自分の感覚でしか出来ないから。猫ごっこはここでおしまいにしよ」

 わたしの好きな場所を彼女が好きだなんて、そんな単純さは期待しない。だから言葉がある。伝え合って、分かり合うためのツールがある。わたしはもっとあなたのことを知りたい。それは、性感帯だってそうだし、あなた自身のこともそうだし、あの漬け物のレシピだって教えてもらわないといけない。あなたが喋れる猫で良かった。わたしの言葉が届く相手で良かった。

 いっしょにいるなら、猫よりヒトがいいよ。

「祀さん、ああんっ! すごい、すごいのっ! 祀さんの指いいのぉ……はぁんっ!」

 あー……忘れてた。ものすごく敏感だったなこの子。わたしのちょっといい話が台無しだ。触れば全身気持ち良さそうなひとに、性感帯尋ねる意味とかあんまりない。それでも大事に、丁寧に愛さないとね。

 彼女の女性を優しくほぐして、指で輪郭を確かめる。小粒なクリトリスに人差し指が当たると、体をくの字に折り曲げた。反った首元に首輪が目立つ。片手で上手にそれを外した。ベルトの内側では汗が輝いており、わたしは唇を使って彼女の肌を清める。丸まった彼女の体は本当に小さくて、か細くて、愛しい。愛液を花の隅々に塗り広げる。怖がらなかったから大丈夫かなと思って、中指をナカへ潜らせた。浅い呼吸が一瞬止まる。膣壁をゆっくり撫でてあげると、もうにゃあとは言わなかった。わたしの指で感じてくれる普通の女の子だった。

 お世辞にもわたしは巧くなかったのだろうけれど、入念な時間をかけた果てに、小柄な裸体がひと際大きく痙攣する。彼女の可愛らしい鳴き声と収縮する女性とがあって、それはわたしを安心させた。

■ ■ ■

「祀さん、にゃーん。ごろごろ」

「思唯! 動かないの! 取れないでしょ!」

「でもでも、にゃーん」

 わたしの膝上でばたばたする猫娘は、耳掻きが好きなくせに膝枕の方が好きなので、すんなりことに及ばせてくれない。トータル何時間、いや、何日分寝てるのに飽きないんだとはいつも思う。もっとも、思唯を膝に乗せている時のわたしも満更ではないため、結局ふたりして甘い時間を過ごす、付き合い始めて一ヶ月経った馬鹿ップルです、ソウリィ。

 何だかんだで思唯とは同棲している。「年上カノのお嫁さん」は本気で彼女の夢だったらしく、「お嫁さんになり損ねた」わたしの夢はやや斜め方向で叶った。……というのは当初の感想であり、最近は、これがわたしにとってベストなソリューションだと思うようになっている。仕事が人生深くに食い込んでいて捨てられそうにないわたしでも、家に帰れば理想のお嫁さんが居てくれる。これはちょっとした奇跡だ。神様の粋な計らいという奴である。銀色の鋏を持った神様は、今も『エリクス・モダン』の奥底で、女の子を侍らせて、乾いて、飢えているのかも知れない。でもそれは、最早わたしと思唯には触れられない物語だ。わたし達はハサミに絶縁された。思唯は『エリクス・モダンの娘』ではなくなって、わたしも資格不足を言い渡された。それが何を意味するのかわたしは知らない。ただ、時折、彼女への感謝が頭をよぎる。

 わたしがいつまで思唯と居られるのか、女同士で一生寄り添って生きていけるのか、子供が欲しくなる日が来るのではないか……懸念は多い。わたしの親指がこめかみに触れると、少し、怖くなる。だけどわたし達は、お決まりの「ドンシンキン、ムーブ」で笑い合う。躓いたら躓いた時に考えればいいのだ。猫みたいなしなやかさと気紛れさで、わたし達は生きる。わたしは走るのが結構得意で、思唯は、もっと早いんだ。

 きっと、どこまでも駆けて行けるよ。

TOPへ
NOVELへ inserted by FC2 system