【偽花】

「どこが痛いんですか?」

 彼女の乳房に掌を宛がい、その優しい膨らみを僅かに押さえつければ、心臓の鼓動が微塵も伝わらなくて安心した。だのに彼女は、肌蹴た白衣と乱れたシーツに包まれて、何か、痛みに耐えているような表情をしている。このシチュエーションから私たちの関係は出発し、秘密と逢瀬と惑溺を、甘く、桃のミルフィーユの様相で重ね合わせ、やがて崩れかけたところに新しい砂糖菓子を見つけ、縋り、食べ、また崩れ、創造し倒壊し、結局最期は振り出しに戻る予感がする。無の揺らぎが気まぐれを起こして宇宙が生まれ、リミットの向こうのオシマイへの回帰を目指しているなら、私たちもその寿命ないし宿命を思い知るのだろうか。『ここ』にも終わりはあるのだと、世界の縮図を見せつけられて、救いのなさを嘆くのだろうか。

「わからないの」

 私の手の甲を覆い、頼りない声で漏らした。私は掌を裏返す。不格好な手繋ぎを演出すると、か細い指が強く握り返してきた。あの日の、初めての、斜陽がカーテンの白地を蜜柑色に浸していた時の情景に似ているものだから、私は過去を模して、彼女の頬へ唇を捧げるのだった。それが純然たる誤魔化しであり、現象に対する回答とはならないことを恐らくは二人ともが気付いている。ただ、刹那の幸福がある。もちろん『ここ』へ来る前にその結論が出ていたのは明らかで、私たちは無情に揮発し続ける幸福と言う名称の葡萄酒を、琥珀の小瓶へ必死に溜めようと、闇雲に、夜道を駆ける焦燥じみて、ひたすらに愛し合った。瞬間的には満ちる。彼女の中指が私の怯えを慰撫して、涙めいた意味のある雫を溢れさせながら、親指が、私を蕩けさせるボタンを押し込んで、口の端からだらしのない性惰の証を零させ、私の身体に深い満足を注ぐ。けれど、二度、三度と求めるのが常だったから、とうの昔に、私が貪欲な獣でどう足掻いても不幸を逃れ得ないことが決まっていたのかも知れない。

 それ程は欲しがらない人間だと思っていた。無欲のひとのつもりでいた。友人に心配されるぐらいには、物事に対する固執も、他人に対する羨望も、これと言った趣味もなく、父の形見のプランターで苺を大切に育てるだけの、周囲からすれば面白みに欠ける人間だった。あらゆる商品がパッケージングされてコンビニエンスストアに並んでいるご時世だ、手間暇をかけ虫害に悩んでまで野菜を育てる価値はあまり分かってもらえない。私も父がいなかったなら、やもすると、トレーに載った肉の切り身がそのままの姿で樹から生えていると信じて疑わないような酷い人間に育っていた可能性がある。

 構わないとは思う。食料自給率が38パーセントだとニュースキャスターがテレビから訴えるのを眺め見、自給率が14パーセント、海外にべったりと依存した小麦製のトーストにべったりとマーガリン(植物性油脂、2パーセント)と林檎ジャム(林檎49、砂糖33。※注1)を塗布して食べるのが世の常であるし、しかもそうして不格好なこの国の食事情は回っているのだから、別段の問題はないと言えた。石油がいつまでもなくならないのと一緒だ。マスメディアが悪戯に私たちを扇情する。一過性のセンセーションが嵐の如く吹く癖、結局何事もなかったと言わんばかりに世界は終わらない。それも構わなかった。私は、鉢植えの彼女におはようとおやすみを告げることが出来て、彼女が元気に育ってくれれば幸せだった。動物が人間の言葉を解するのと同様、植物にだって気持ちは伝わる。植物の魔法使いルーサーバーバンクが棘のないサボテンを作った方法は交配による品種改良に違いないのだけれど、彼が愛情をもって話しかけ続けた結果サボテンの攻撃性<棘>が抜けていったという寓話はどこか真実味がある。実際にサボテンとの会話実験を行った学者もいた気がするけれど、あれはバーバンクとは別人だったろうか。おぼろな記憶よりデータの真偽性よりも、慎ましく、美しく花開く彼女こそが私の確信だった。

 ただ、室内栽培の苺は放っておくと開花から結実へと繋がらない。花粉を飛ばす風と運ぶ蜜蜂とがいないのでヒトの手による受粉作業が必要になる。それはとても愛しくて切ない儀式だ。受粉して子を宿し、落果の種子が新しい命を芽吹かせる、至極当然の摂理だとしても、花弁は受胎を悟る故に散っていく。私たちの食べ物となる赤い偽果<ギカ※注2>を孕まなければ花の咲いている期間は伸び、しかもこのプランターに限れば、彼女の選択肢はカミサマの私によって決定される。私が彼女の秘密へ綿の球を触れさせなかったなら、あるいは彼女にとって一番美しい瞬間が延命することになる。ただし機を逃すと次の命は育まれない。咲き誇ることが幸福か、種を連ねることが本望か。そんなくだらない問答が鎌首をもたげると、私の不幸が始まった。

 そもそも果肉を食べる名目で栽培しているのだから、彼女の『次』が繋がることはない。第一、苺は種子ではなく茎<ランナー>を用いた繁殖が一般的だ。親苗から伸びた茎を切り離し、ホームセンターで見られる例の状態に加工する。だったら私の拘泥など一握のセンチメンタリズムに過ぎず、結ばれた生命は単なる食品ではないか。思考は無意味そのものだ。そうすると、捕食されることが義務付けられている彼女の『後』を生み出すよりは、花の咲く時を少しでも維持してあげた方が彼女のためだと思えた。しかしそこにもまた嘘があった。花が綺麗だと捉えているのは、私だ。彼女は子供が欲しいと望んでいるかも知れない。膨らまないまま萎れていく花托<カタク※注3>を見つめながら私は毎晩のように泣いた。どう足掻いても偽善に感じて、最終的には空になったプランターが残った。

 元々抜け殻だった身体がもっと透けて、バナナみたいに味気ない、淡白な、輪切りの日々が続いた。悄然と、何か幸せになれる方法を探しても、あの花びらが一番綺麗だったと思い返しては胸の奥が痛みを帯びる。年間三万人と言う数字に一を加算するのも怖くて、けれど長らえるのも辛くて、時折寝る前にカッターナイフの刃を覗かせてみては冷たい無機物へおやすみを告げたのだった。

 毎日の食事があって、暖かい布団で眠れて、たくさんの学ぶべきことと、教育を受ける権利、笑い合う友人と、女手ひとつで私を育ててくれる母、春の木漏れ日に、公園のベンチ、お気に入りの音楽と、ほんの少しのおしゃれと、が、あって、だのに苺を育てる習慣を失っただけで私は簡単に故障した。贅沢だ、不幸面するに値しない状況だと誰かが叱る。私も同意する。私がおかしいのだと思う。理屈で固めて詰め込んで、いつか納得出来ると信じていたけれど、私は、ずっと、痛かった。どこが痛いのかは、胸のようで、頭のようで、心臓のようで心のようで、苦しくて重くて辛いものが、漠然と私を侵食していた。

 そんな精神状態だったからか、私は躓<ツマヅ>いてしまった。運動部が日々整地しているはずのさして凹凸もないグラウンドは、私の爪先を取るとすぐさま膝へ赤いシールを貼った。そちらはまだ可愛げがあったものの、やけに削れた右掌の皮膚は心拍のリズムで痛みを生み出し、内側から血を流す石榴<ザクロ>だった。大丈夫だよとクラスメイトへ笑顔を向ける。保健室に連れ添おうとする彼女を拒否したにも関わらず、下駄箱まで着くと不意に涙が溢れた。嗚咽が漏れる前にトイレへ入り、赤と青の水をロールティッシュで拭って、何度も拭って、もっと痛くなって泣くことしか出来なくなった。

 あんなに大切にしていたものが私のせいで駄目になったという悲しい気持ちは、諸々の液体とともに止め処なく伝う。体に付いた擦過傷ではなく苺のことで泣くなんて馬鹿げた話だった。水溜りの中で血染めになった赤紙が、くしゃりと丸まって、それを偽果に錯覚した途端痛みが耐えられないものに変わる。流してしまえばいいと思った。私の赤いものを全部、汚いから、流して、空っぽになってしまいたかった。

 カッターが欲しい。私が思い詰めた時、戸が控えめに叩かれる音がして、「大丈夫?」と訊ねられた。

「急に来ちゃったんだったら、保健室から持ってくるわよ。それとも紙が切れてたかしら」

 私は慌てて眼を擦った。扉一枚隔てているとは言っても、見知らぬひとの前で醜態を晒すのは恥ずかしいと思う程度には平静を取り戻した。

「い、いえ、お気遣いなく」

「そう? うーん……お通じの薬もあるからね。体の不調も心の不調も、最寄りの養護教諭へご相談くださいって話よ。最近の子は溜めこみ過ぎるから、出番が少なくてセンセー寂しいわ」

 それじゃあね。早々に会話を切り上げようとした彼女を何故だか引き留めたくて、私は個室を飛び出した。件のひとは唇にハンカチを咥え、私の方を何事かと見遣る。薄茶色のショートヘアが紗の柔らかさで揺れ、サラと擦れ音が聞こえた気がした。

「あら、怪我してる」

 濡れ手を拭い、私へ寄る。私はハンカチに残った口紅の跡をそれとなく目で追っていた。檸檬<レモン>色の薄布は白衣のポケットへ姿を消す。入れ替わりに取り出されたガーゼは、やがて私の視界をいっぱいにした。

「あの……目は別に」

「兎目になってるのに、別にも糸瓜<ヘチマ>もないでしょ? 大人しく拭かれときなさいな」

 素っ気ない手つきがいっそ優しかった。再度涙腺が緩みかけるのを堪え、私は数秒の施しを受ける。美容室で髪を洗ってもらう時の、あの心地良さに似ていた。だからガーゼが離れても瞼を閉じたままでいて、指摘されれば気恥ずかしさに俯いた。

「膝小僧と、うわ、掌真っ赤じゃないの。おいでおいで」

 私の手首を掴み、早足で歩き始める。下を向いたきりの姿勢で私は倣う。ハタハタ音立てる白衣をじっと見つめてようやく、ああ、保健室の先生なんだと遅い実感が湧いた。

「何組の誰さん?」

「1‐Cの湊<ミナト>です」

「C組……カタギリさんのクラスね。他の生徒もあの子くらい遠慮なく保健室へ来てくれればいいのよ。佳珀塔<カハクトウ>は女子校だから、生傷が絶えないのも困りものだけどね」

 片切。転んだ私を保健室へ連れて行こうとした彼女は、他校の男子を殴り倒しただの、学園周辺で猪を蹴り倒しただの、荒っぽい噂が付きまとっているひとだ。確かによく怪我をしているけれど、保健室に通っているのを想像すると少し可愛らしかった。

「喧嘩……ですか?」

「本人いわく、ライオン狩りらしいわよ。さ、入った入った」

 問いかけは曖昧な回答で濁された。私は先生の後に従い、潔癖な匂いのする保健室へ足を踏み入れる。調度品の白さが病院の一室を連想させる。

「手は洗った方がいいわね、砂が入ってるみたいだし。とりあえずそこで水洗いしてもらえる? 膝は、あんまり酷くないからちゃっちゃっと消毒済ませればいいでしょ」

 彼女が、恐らく利用者名簿へ私の名前を記載しているのを横目に、室内の水道で傷を洗う。傷口に水が沁みる。でも、そんなに辛くはなかった。どこかしら偽物めいた赤い塗料が排水溝の傍でマーブリングされるうち、掌の着色は流れ去った。

「センセーが子どもの頃はマーキュロクロム液、あの赤チンなんて呼ばれてる癖にチンキ剤じゃない変な消毒液を使ってたのよね。最近の風潮は専ら『ヒト自身の免疫力に頼るべきだ。そもそも消毒不要』なのが可笑しいと思わない? 本当に、何が正しいんだか。茄子も胡瓜<キュウリ>もあったもんじゃないわ」

「自然治癒、なんて言いますよね」

「そうそう。もう全部偽薬<プラシーボ>効果で済ませればいいのよ。鰯の頭も信心からって言うように、薬を塗ろうが塗りまいが、信じる者が救われるんじゃない? ……っと、養護教諭がこんなに投げやりだったら、治るものも治らないわね。ごめんなさい」

 凡そ傷を洗い終えた私は先生へと向き直った。彼女の指が丸イスを勧める。頭をひとつ下げて座った。同じく腰かけた先生が、カラとイスの車輪を鳴らして近付く。私の掌を矯めつ眇めつし、「心配するような酷さはないわ。絆創膏と、軽く包帯をしておくわね。膝はサっと拭いて、一応こっちも絆創膏しときましょ」と言って治療処置を始めた。私は彼女の視線が傷へ向けられているのをいいことに、幽かに揺れる栗色ばかりを眺めていた。そこからは柑橘<カンキツ>の芳しい香が漂っている。シャンプーか整髪料か香水か、分からないけれど、優しい匂いだった。

「保健体育か。ソフトボールか何か?」

「今日はサッカーでした。例の片切さんがいつも通りの大活躍で、同じチームだったからラッキーしちゃいました」

「あなたは得意なの?」

「人並みです、多分」

「でも転んじゃったのね。心配ごとでもあったのかしら。なんて、詮索も程々にしとくわ」

 人差し指の隣で結び目が作られ、私の傷は覆われた。僅かに手を動かすと滲むように痛む。掌ではなくて、もっと体の奥底が痛んでいる。きっと、そのシンパイゴトが膿んだ痛みだ。治る気もなくてぐずぐず腐っている傷だ。終わったことは終わったことで、いい加減に諦めるのが正解だ。

 一時、沈黙によって時間が細く切れた。気まずさから先生の顔を忍び見る。彼女は茘枝<ライチ>の果肉の不確かさで微笑んだ。白と言うには濁っていて、どこか憂く、渋く、甘みを伴う表情だった。

「相談したくなったらいつでもおいで、ミナトさん。センセー暇で暇で仕方がないもの、これじゃあ意図しない怠業だわ」

 一変、今度は屈託なく笑う。私も釣られた。教師の立場があるとは言え、慮ってくれることは気休めになった。一方で、相談する価値もない個人的な問題だ、このひとの思いやりに縋る必要はないだろうとも考える自分がいる。私は包帯を巻いてもらったのだし、それで充分だ。そう言い聞かせると冷静になれた。

「足の方も済ませましょ」

 彼女がピンセットで脱脂綿を摘み、消毒液を染み込ませる。その様子を見守っていると、折角平らにした心の水面にさざ波が立った。私の心情を知らず、先生が繰る濡れた綿の球は膝へ伸び、緩やかに傷を掃く。綿は乾いていない。私の罪とは違う。私が湛えているものは花粉でも花托でもなく、ただ赤いだけの血液だ。必死で思索を打ち切ろうとしても、私には、彼女の手にしているものが受粉の道具に見えて仕方なくなった。

 私にも白い花が咲けばいいと思った。それがあったら苺の気持ちも理解出来る気がした。美しさの限り生きるのか、身籠って子供を産むのが喜びかを体感し得るのでは、とまで想いを馳せ、私は曲がり道の果てに無花果<イチジク>を見つけた。

 ――このひとの花になれたら、答えが分かるかも知れない。

「終わったわよ。痛くなかった?」

 私は痛くなくなったと告げた。突拍子もない空想が、私の鈍痛を紛らしてしまったから、さぞ嬉しげな顔をしていただろう。見送られて保健室を出る私の足取りは浮ついていた。幸せになれる予感がした。

 私は男を好きな男でも、女を好きな男でも、男を好きな女でも、女を好きな女でもなくて、苺の好きな女だった。だから、女を好きな女になってみたかった。恋をすると綺麗になると誰もが嘯<ウソブ>く。綺麗になって、愛でられて、私の子宮が膨らまなくても幸福になれるなら、私はもう一度苺を育てられるはずだ。奇妙な論理に突き動かされて、私は恣意的な同性愛者になった。

 理詰めの恋は既に逸脱している。しかも女同士なうえ、生徒と先生とで干支がひと回り違う。元から巧く行く道理はなかった。私は何もかもが失敗に終わり、また空のプランターが左胸の後ろに置かれることを期待した。

 保健室へ通う、意識して。会話する、意識して。笑ってみせる、意識して。頷いてみせる、意識して。概ね恋と呼ばれる模糊とした海を、周囲の泳ぎ方を真似て、意識して、浅ましく渡った。自分のことが日増しで嫌いになった。彼女のことが日増しで好きになった。好きになる努力が不必要なくらい素敵なひとで、そのうち意識して何かすることもやめたら、自然体になったにも関わらず、好きで、愛しかった。罪悪感に苛まれた。私は彼女を利用するつもりだったのに、誰にも内緒のコーヒーをご馳走されて、幸せいっぱいに談笑している。苺は相変わらず育てていない。彼女の方が大事になってしまっていた。

 幸福と不義理が張り裂けそうになったから、嫌われるつもりで言い寄った。夕暮れ時の告白だった。先生はまるで年下の子のように戸惑って、「からかわないの」と嗜める声さえ震えていた。抱き締めたら震えが伝わって来た。振り解こうとはしなかったから、私の唇に彼女の口紅を写す。白衣の下を肌色にして、やがて杏色に変えると、切れ切れの吐息で落花した。彼女の果蜜は私の知らない花の匂いがした。その時の私にとって、彼女の握り返した指が何よりも確かな実感を伴っていた。

 二人きりの秘密が増える。もっと増やしたくなる。思い出が増える。もっと増やしたくなる。傍にいる時間が増える。ずっといっしょに居たくなる。歯止めが利かなくなる。現実が圧しかかる。私たちの間には年齢の差異と職業の相違が横たわっていて、その隙間隙間に性別の一致がもたらす歪みがある。どちらかが正したなら終わってしまう頼りない幻想を、離散していく心細さを打ち消すように、私たちは心と体とを互いの温度で温め合った。消耗しながら発熱していた。

 そして予想以上に早く、逢瀬に終わりが来る。私たちが求め合う姿を他の生徒に見られてしまった。駆け去る生徒を遠い目で見る彼女は、両腕で自分を抱くと、訥々と漏らした。

「どうして隠れて生きないといけないのよ。恋人同士でいられる場所なんて、ここか、私の部屋しかないのに、それすら許されなくなるの? 愛さえあれば、はどこにもなかったのね。爪弾き者だわ私たち。あの子は誰かに言うかしら。そしたら離れ離れ? 誰にも祝福されないふたりぼっちが、ひとりぼっちになっちゃうわね」

 しょうがないか、ごめんね、子供みたいなこと言って。先生は唇を笑みの形にする。その傍らを涙が歩いていく。大丈夫、大丈夫だから、大丈夫よね。私たち大丈夫よね。私が怯える彼女にしてあげられることと言えば、両腕と言葉であやすことに過ぎず、抱き締め合って重なった胸の両方に、痛む血液が流れている気がした。

 女生徒が吹聴したか否か、私たちには分からない。だってふたりで『ここ』へ来た。オナガレサマにお願いして、やっと自由に生きられる場所へ来た。……私たちは、生きているのだろうか。心臓が鳴らない人間は生きていると言えるのだろうか。呼吸はある。思考もする。食べて、寝て、デートをして、『ここ』なら誰も私たちを否定しない。これ以上望むことはない。あなたといっしょにいられるから、きっと幸福なはずなのに、あなたはどこか痛そうにしている。

 私も痛いのか、判別の付かないまま、繋いだ手が静かに切なくなる。

 ◇ ◇ ◇

※注1 数字:農林水産省、平成19年度値

※注2 偽果:厳密に言うと、種に見える部位が苺の果実に当たる。

※注3 花托:受粉すると偽果を形成する部位。花の付け根。

TOPへ
NOVELへ inserted by FC2 system