【あとぎずき】

 生物学的特性による類型論と心理学的特性による類型論の代表的なものを幾つか挙げられている間に意識が飛んだ。それは心理学入門の講義が別段退屈だったわけではなく、教授の声に催眠効果があったわけでもなく、単純にわたしの眠気が度を越していたに過ぎなかった。かく、と首を一折した次の瞬間、講義室はわたしを取り残した静粛ながらんとなっている。

「誰かお昼誘おうよ! 兎は寂しいと死ぬよっ!?」

 拳を握って立ち上がるも、傍聴者の不在が一層の孤独を煽る。むぅ、世知辛い世の中だ。筆入れと講義資料を手提げに放り、独り薄暗い講義室から歩み出るのであった。

 途端、白昼の強い日差しが天頂より射る。焦げるて。道々に犇いている学生諸氏のせいで蒸すて。あああちぃあちぃを小声で繰り返し繰り返し、自らの体が液化せぬうちに食堂へ駆け込む。人混み変わらずと言ったところだが、これでもかと唸りを上げる空調の効き具合はたちまちにわたしを冷やし固めた。

 食堂に避難はしてみたものの、さりとて食欲のあるでもなく、片隅の購買で白くまを買って椅子に着いた。九州人以外にも通じますか、白くま。かき氷を練乳と餡と果物とでごてごてにした魅惑の氷菓子です、白くま。ええ、おいしいですとも。わたしが半眼のまましゃくりぱくり等いたしていると、向かいの席に座ったひとの手にした親子丼特盛が、昼食どきの事実を嫌が応にも知らしめるのだった。

「ご飯もまだやに、なん食べよんの」

「白くまおいしいです」

「それは知っちょんけん。……ご飯食べきらんっち水もんばっか取りよんと余計きちくなるよ?」

 木匙がさくさくとさざれを作るのを、広瀬は不満げに見つめている。どんなに食べても栄養がお腹には行かず胸に行く、そんな広瀬の特盛の谷間へ、わたしも不満、むしろ羨望の眼差しをやる。

「わかってるけど、三大欲求の釣り合いが極端に悪くてね」

 睡眠欲過多を主張したつもりだったが、彼女は残りのひとつを持て余していると受け取ったのか、綺羅と表情を輝かせた。落ち着こうよ。

「希理さん、目の下に隈が出来るくらい寝かせちもらえんのや! いいなぁ。うちの彼女、唇から先なかなか許しちくれんのよ? 寝つきめちゃくちゃいいけん襲うのもむげねえしなー」

「誤解なうえに聞いてないよ!」

「寝かせんの!? 希理さんっちやっぱけだものや……えろ河童や……いっそ、今度うちの彼女襲っちゃらんですか? そしたらうちも交ざりやすいし」

「……」

 この大変な変態の扱いに困ったわたしは、さくらんぼうをみぞれの中へ沈める作業に没頭している風を装った。しゃくり、匙を入れては掬い、果実を白で埋め立てていく。しゃくり、しゃくり。ふむ、確かこれに近い音だった気がする。しゃきり、しゃきり、しゃきしゃき。

「……うち、しゃあしかった? 出来心やけん許しちゃらん?」

 広瀬の甘え声が擬音に割り込む。申し訳のなさそうな顔をしていることもあり、わたしは力なく苦笑した。許すというか許さないというか、わたしは眠い。胡乱な目つきで取り留めなく彼女を望んだ。

 黙っていれば綺麗な女、なんて失礼な形容を用いてしまえば簡単だ。幼さの残る顔立ちと減り張りのはっきりした体型とが不思議な調和を果たしており、物憂げな態度を見せられたなら男女問わず力を貸したくなる蟲惑を内蔵しているのも周知の事実だ。しかしてその実態は、手にした一味唐辛子で親子丼の親も子供も真っ赤に着色する程度には変だ。もう唐辛子丼だってば、それ。わたしが呆れている目下、割られた箸が激辛料理を切り取り、持ち上げ、何故かわたしの眼前に寄ってくる。冷静になろうよ。赤過ぎるってそれ。

「食欲がない時は辛いのが一番やき。はい、あーん」

 痛々しさと若干の嫉妬の雑じった視線を衆人が寄越す。味方のいない公開処刑ですね、わかります。据え膳食わぬは女の恥、ならば食べるより他ありませんね、知っています。投げられた第一球、打者の口に入りましたとも。無機質なもぐもぐを演出しますとも。

「一味おいしいです」

「やろー? もひと口? もひと口?」

「実は減量中、ということにしとこうよ。世界平和のために」

 平静を装っているくせ、わたしの舌は死んだ。死者に鞭打つ必要もあるまい。広瀬は物足りない様子だったが、今度は箸自体を差し出して、暗に攻守の交代を宣言する。……あのねえ、交際したての恋人たちの、傍目には馬鹿らしい溺愛ぶりをですね、わたしと広瀬がやってどうしますか。今の恋人に、ふたりきりの状況でしてもらおうよ、全く。

「……あーん」

 素っ気無く告げてみても間抜けさは露ほども消失しない。件の赤い塊なら、律儀にあーんを復唱した広瀬の、唇の向こう側へと消失した。眉が幸せの形になる。

「愛がおいしい!」

「それは重畳」

 両頬押さえなくてもほっぺた落ちないよ、と箸を返せば、彼女はもふもふ唐辛子丼を食べ始めるのだった。修行僧か何かか、広瀬。微塵も汗をかかない以上、彼女の舌は修行完了済みか、さもなくば往生済みだと思う。広瀬の舌自体は、まぁ、おいしいんだけどね。わたしはわたしなりに彼女の色々なことを知っていて、彼女は彼女で妙な知識の宝庫であるから、やや溶け気味の白くまをしゃきりしゃきりさせつつ、有袋類の如く食事を頬張っている広瀬へと話しかけるのだった。その食べ方は女子としてどうなんだ、ではなくて。

「夜中にね、こんな按配の音がするの。しゃく、しゃき、っていう。多分お風呂からだって目星がついてる割に、確認してみると何もなくて、音も止む。なのに布団に戻ったらまた音が鳴り始めて……結局、気になって眠れないまま朝になるのを三日ほど続けたら、それは目の下に疲労もこさえるって寸法ね。広瀬はどう思う?」

「ふぉふぇふぁ」

「まず飲み込もうよ……」

 五倍速のもふもふで嚥下したのち、広瀬は水を飲んで一息ついた。可愛い大分弁っ子という設定が既に台無しの予感がする。そもそも県名より別府の方が有名だという田舎の古代語なぞ、読者の興味はおろか、その真偽の別さえ定かではあるまい。勿論わたしにとっても定かではない。

 宮崎県と喧嘩をしながら、頑なに鶏肉の消費量日本一だと言い張る小国の一民は、一息のあとにたっぷり三息を追加してから述べた。

「虫と動物と女の子、どの落ちやったら楽しいかな」

「虫以外を所望」

「そしたらどっちにしてん小豆とぎやな」

 腕組みの一人合点をしている彼女に、わたしは置いてけ堀される。こちらの不理解を汲み取ったのか、広瀬は片手の人差し指を側頭部につけ、教師の様相で解説を始める。

「小豆とぎ、または小豆洗い。川のほとりで小豆を洗うしょきしょきち音がするけんち、そっちに行ったらだーれもおらん。大雑把に言ったらそんな妖怪やき」

「妖怪かよ!」

「やって、そのほうが面白いやろ?」

 得意げに微笑む広瀬は、可愛いには可愛いのだけれど、この平成の時代にYOU-KAIである。しかも小豆を洗うだけの地味な奴らしい。諸々のがっかり感が累積して、無闇に眠くなる。

「うー、なんなん、真面目に答えよんのに希理さん冷たい……あんなに『愛してるよ』っち言いよったになぁ」

「その話はよそうね! 小豆とぎ! うん、小豆とぎの話をしよう! 具体的な傾向と対策を練って明日の糧にしよう! ね!」

 わーい。わたしを半ば強制的に主題へ引き戻したことは、広瀬になんの罪悪感も芽生えさせていないみたいである。天然なのか悪女なのか判別しがたいが、変でもいい子なのは違いない。食べかけの親子丼を脇にどけて、わたしと話を続ける姿勢を持つ程度には、だ。

「傾向っち言っても日本全国に伝承があるけん、『小豆を洗う音がする』の他には共通の特徴がないんよなぁ。正体も、小僧やったり老婆やったり、がまやったり狸やったり適当なんよ。やき、うちは女の子がいい!」

「希望かよ!?」

 勢い、立ち上がりかけたわたしを掌で制する彼女。意外に真面目な目つきをするものだから、わたしは咳払いひとつ着席した。

「希理さん。妖怪の成り立ちなんて言ったもん勝ちの思ったもん勝ちやきに。ほら、想像しちみよ? 三十路のお姉さんが濡れ襦袢に哀愁たっぷりの様子で、『小豆とごうか人取って食おか』っち呟き呟き小豆といどる光景はたまらんですよ!?」

「人食系女子!? 様々な意味でたまらないと言うか、わたし食べられるの!? やばいよ!」

 ああ、朧な記憶を掘り起こしたなら、女性の声でぶつぶつ何事か呟かれていた気がする。地味に生命の危機だったとは! 道理で体が気だるいはずである。いや、それは寝不足なだけでしょうよ、わたし。まさか精気吸われたりしてませんよね? 平成日本でそんな地味妖怪に憑き殺されたりしたくないですよ?

「取って食われることはまずないけん、あんまし心配せんでもいいんやろうけど、安眠妨害されとるのは確かみたいやきに。死にたくなかったら戦うことやね!」

「……あのー、どうやって?」

「……どげーする?」

 早くも絶体絶命であった。しかし地味な死に様だけは勘弁してもらいたい。だって、なんか、地味過ぎですよね? 地の文がほのかに堅苦しい程度の無個性な主人公が、地味妖怪に地味殺されたら地味小説じゃないですか。これは伝奇小説のはずなのです。魑魅魍魎蠢き、巫術舞い飛び、因果としきたりに呪われた甘く切ない悲恋、民間伝承の下敷きと新規の解釈が構造を支える、由緒正しき娯楽小説のはずなのです。……手遅れですね、わかります。

「死のう……」

「もうちょっと頑張っちゃらんの!?」

「来世ではきーちゃんと柴を親子丼出来ますように。『決まってるでしょ 柴の上』……」

「親子丼やったら計画的ま……そうやなくって! 星川銀座四丁目の妙な現実感に凹んでる場合でもないんよ! とりあえず、いっしょに考えちみよ」

 それは置いといて、の逆動作で広瀬の手元に親子丼が再配置される。彼女の言う通りだ。星川銀座四丁目の生々しさに比べれば、地味妖怪に殺されるなぞよほど非現実的だ。女食系女子の底力を見せてやるしかあるまい。目の前の鶏食系女子は例の赤い何かをもふもふしている。わたしの白くまは果物の浮かんだ飲み物と化している。泣くぞ。

「対象の断定……は恐らく成功しちょるけん、正規の物語へ落とし込めば一件落着なんやけど……小豆とぎを祓ったっち説話がないけんね……小豆以外を洗わせち解体する? うーん……小石はようない……砂もだめ……大体洗っちくれんやったら使えん手やし……洗う、洗われる、とぐ、とがれる……出来た!」

「早いよ!」

 わたしが黄昏ている間にどんぶりは空になっているし、案が生まれたようであるし、全然いっしょに考えていないしで複雑だが、背に腹は変えられない。焼き魚にはかぼすを掛けると心に誓っている民族は、ご飯粒を付けた口を厳かに開き、わたしの取るべき指針を示したのであった。

「希理さんも、現代の小豆とぎをしちゃらんですか?」

 ■ ■ ■

 しょき

 しょき

 あずきとごうか ひと とって

 しょき

 くお しょき

 しょき しょきしょき しょきり

「広瀬……あの、割と本気で人食系幽霊っぽいよ……?」

 しょき しょき あずき しょき

「はったりやけん大丈夫やき。小豆とぎに食われたっち伝承はないし、ここに上書き用の物語を構築しちょん。あとは希理さんがどんだけ入り込めるかが勝負や」

 ひととって くおか しょきり

 砂を掻く音にも似た雑音が、か細い女声と共に自室まで響く中、わたしは肌襦袢一枚の頼りない格好となり待機していた。手には木桶いっぱいの小豆が用意されている。衣装と小道具は我が演劇部の提供、小豆は実費でお送りいたします。なお、脚本の題名は『あずきとがれ』、執筆者はこちら、広瀬縫子にございます。それはそれはしょうもない、現代調の黄表紙にござい。

「希理さん、真面目にやらんと危ないけん、茶化したらいけんよ? 風呂場やって腐っても水辺やき、引き摺り込まれる可能性もあるんやけんね」

 深刻な言葉の裏側に、期待で心底燃えています、という本音が全開である。彼女が即興で起こし、現在手元に握り締めている『あずきとがれ』は、わたしこと芒波希理を主人公とする、自宅に発生した小豆とぎを執拗に甚振って滅ぼす残酷演劇だ。むしろ馬鹿小説だ。わたしの行動と顛末が酷い。だが、わたしはわたしの心地よい眠りのためなら自らの手を汚すことも厭わない。例え広瀬の好奇心を満たす役者になろうとも、殆ど罪のない小豆とぎを逝かせてしまうことになろうとも、だ。

 しょきり。桶中の小豆を掻き回す。そちらが人食系幽霊だとして、こちらは女食系女子である。好みの女子なら神様だって抱いてみせる! ああ、わたし今すごく馬鹿っぽい!? そしてうっかり奈須っぽい!? 余計な茶々ですね、知ってます。さっさと平穏を取り戻す段取りへ入ろう。わたしは静かに立ち上がる。しょきり。

「取り憑かれたらうちが何とかしちゃります。とにかく相手の存在を『定義化』『具体化』するのが大事やきに。あらゆる妖怪の正体は『物語』なんやもん。古典殺しが利かんなら――新しい物語に閉じ込めるだけや」

 しょきり。しょき、しょき。

「小豆とごうか、ひと取って食おか」

 没入していく。展開は概ね理解した。わたしの役割も把握した。在るべき姿も決定した。あとは飛び切り可愛いお姫様が、舞台袖で待っているのを祈るばかりだ。広瀬を残して、暗闇まみれの室外へ出る。

 ひた。裸足が板敷きを踏み、暗い廊下を進み行く。しょきり。細波の音を欹てる。わたし以外に音はない。逃げたんだ? 肯定してあげようって人間が二人もいるのに? かた。手の甲が扉の取っ手に当たる。寂しかったんでしょう? この時代に、誰が妖怪なんて信じると言うのだろう。無論わたしだって信じてはいない。居ることが確定しているものに疑問を挟む余地はない。しょきり、しょきり。

「小豆とごうか、ひと取って食おか」

 きぃ。浴室へと踏み入る。暗さに目が慣れるうち、果たして、そこに小豆とぎの姿は、なかった。あれ? わたしに成り代わられてもいいんだ。臆病なんですねあなた、わかります。わたしは浴槽の傍に屈んで、独りで小豆とぎを続ける。わたしの言葉が磨ぎ音共々朗々と流れる。

 しょき しょき あずきとごうか ひと

 とって くおか しょきり

 しょきり

 しょきり しょき ごぽっ

 あ、今の音はちょっとやばい? だって、栓がされていないのに、お風呂に水が溜まっていく。わたしは緊張で手を止める。

 ごぽっ ごぽっ ごぽっ

 びちゃ

        しょきり

 あずき とごうか ひと とって くお か

 わたしのものではない声が、耳の傍で囁かれる。しまった。予想以上に可愛い声だ。俄然やる気が満ちてきた! わたしは何食わぬ顔で自分の小豆に手を伸ばす。しょき。小豆とごうか、ひと取って食おか。しょき。しょき。ちらと小豆とぎを見遣れば、長い前髪に遮られて表情が伺えない。ただ、何やら戸惑っている気配は伝わってくる。首尾は上々だ。ほら、折角確保したあなたの場所が、他の小豆とぎに奪われてしまうよ? しょきり。挑発を乗せて小豆を鳴らす。しょきっ。彼女も負けじと豆を掻く。あー、無視無視。かれこれ三日付き合ったんだもの、今日はわたしに付き合いなさいな。小豆混ぜる手も軽やかに、わたしは涼しい音を立てる。しょき、しょき。小豆とごうか、

 小豆とぎ取って食おか。

 えっ

 頓狂な声が上がる。そんなに驚くことだろうか? あなたが人間を食べるのかどうかは知らないけれど、わたしはちょっと――妖怪も食べてみたい。もう一度小豆とぎへと目線を送る。多分、ばっちり、目が合った。慌てて小豆とぎは俯く。……段々小豆とぎ呼ばわりするのも疲れてきたので、こうしよう。小豆とぎ、旧名咲子。薄幸の美少女と言うには女盛りの二十三歳。鄙びた農村に生まれ、奉公先にて飯炊きを務める最中、肺を患い没した。泣きぼくろが切ない色気を演出する線の細い女性、性感帯はお臍。お臍! いい響きだ。広瀬が長々と記述した薄幸設定の詳説はこの際放置で、わたしは彼女へ擦り寄る。懸命に小豆をといでいる仕草がもの悲しいが、それも今日で終わりだ。怨むなら広瀬の台本とわたしの女食ぶりを怨むがいいさ! 濡れた襦袢を後ろから掻き抱き、湿った前髪を横へ流した。ああ、むきになっている顔も結構好み。泣きぼくろも色っぽいし、血の気のないであろう唇も、暗さで大して気にはならない。

 あ あずき とごうか

「さきこ」

 じゃま しないで

「図星?」

 そんな ちがう

「うん、何にせよ、定型句を外した。人間に臆した。見える、触れる、捉えられる――広瀬の物語へようこそ、『あずきとがれ』さん。二度とわたしの睡眠を邪魔出来ないように、しっかり固定されてもらうからね。……広瀬ー! 捕獲成功したよー!」

 わたしの懐中でむずがる元小豆とぎを絡めたまま、仕掛け人に目的達成の旨を告げる。軽快な足音をぱたりぱたり伴い、戸の隙間から広瀬が顔を見せた。

「わお、東洋の神秘やね!」

「何それ。えーっと、この子濡れてるみたいだし、拭くもの取ってくれる? 一番下の棚に入ってるから」

「その前に下準備しちょかないけんきに」

 しょき。広瀬の手にした裁ち鋏が、その二枚刃を擦る。手の内で咲子の怯えが湧く。彼女の手にはもう、何もない。持ち前の小豆は既に忽然と失せ、やけ気味にわたしのものを奪おうとするも、広瀬の爪先がそれを手の届かない隅へと押しやった。ぐったりと項垂れる姿には幾らかの憐憫を持つ。それで広瀬はと言えば、「動いたら危ないけんね」の口上がてら、咲子の頬を刃の側面で撫でている。こっちはこっちでABU-NAI。

 二人がかりで押え付けて、哀れな妖怪の衣服を切り裂いていく。断片が落ちては消えた。彼女の抵抗も削げては消えた。今や小さくすすり泣きする、一個の美しい麗人でしかない。

「……なんだか可愛そうになってきた……」

「希理さん! ここまで来たら責任取るしかないんよ! 即ち濡れ場やき!」

 広瀬の目が炯炯と光る。楽しんでますね、通じます。意気揚々の足取りで浴室を出て行った彼女を横目に、わたしも覚悟を決めなければと思う。手中の女性の頭に手を置き、手櫛で髪を優しく梳った。

「ねえ、どうせなら楽しいことしよ? 人知れず小豆をとぐよりかは、愛され上手になった方がお得感あるし……そういう妖怪がいてもいいじゃない。違う、いるべきだともさ。妖怪だろうがなんだろうが、女子は愛されるべきだともさ!」

 馬鹿の鑑ですか、そうですね。咲子も目が点です、瞬きばかりです。まぁ、一応は泣き止んだようだし、これはこれで。広瀬と共同作業して濡れそぼつ裸体を丁重に拭えば、落ち着いたのか観念したのか、彼女はそっとわたしに寄りかかった。

「あ、いいなー……うちもなんかかりたい……」

 広瀬がぽつりと漏らす。それはまたいつか、機会があればの夜伽話だ。わたしは咲子の膝裏へ腕を通し、力を篭めて抱き上げた、のだが、不自然に軽い。あとは体温がそれとなく低い。昂ぶらせたら温かくなるのだろうかと、空想に空想を重ねた。

 咲子は押し黙っている。ただ、暴れだす様子は見られない。大人しい幽霊を寝床へ抱えて行き、静かに降ろす。彼女よりわたしの方が重いのは少々癪だけれど、そのわたしが緩やかに覆い被さった。前髪を左右に払う。困り気味の顔が披露される。吸い寄せられるまま唇を落として――。

「広瀬」

「なん?」

「あのね、側で凝視されてるとすごーくすごーくやり辛い」

「いいやん。希理さんが他の子とどんな風にするんか、興味あるき」

 寝台の縁に肘を付き、広瀬は頬杖して見ている。調子狂うなぁ……しばらく広瀬を睨んでいたわたしの頬へ、冷えた温度が接触する。それは唇の形をしていて、見下ろすと、咲子がはにかみ交じりに舌を出した。可愛いですね、ABU-NAIです。広瀬を一旦意識の端にどけて、冷えた唇を奪い取る。くすぐったそうな囀りが、控えめな濡れ音といっしょに踊る。わたしの襦袢が咲子に引かれ、密着の度合いが増す一方、伝わるのは冷たい熱だ。夢中になり交わる。わたしの温度を分けてあげたかった。

 不意に背中が温かくなったのは、広瀬が寄り添ったせいだ。彼女に右耳をゆるく噛まれ、わたしの肩がぎこちなく揺れる。

「や、やっぱりうちも混ぜちゃらん? 希理さん取られたみたいで寂しい……」

 応答を待たずに、わたしの襦袢を脱がせにかかる。専ら脱がす側のわたしであるから、不慣れな衣装も相俟り恥ずかしい。抗議の声を上げようとした口は咲子によって塞がれる。四面楚歌ですか、二面女子ですね。もはや故事の原型はありません。広瀬の計画も著者自身が原型踏み倒しです。唇の封を抜け出し、首謀者へと問いかける。

「それだと――っ、うまく、いかないんじゃ」

「落ちが同じなら大丈夫やと思う。やけん、やけんね? うちも頑張るき……」

「そういう問題なんだ!? あっ、ちょっと、肩はぁ」

 襦袢は剥き下ろされ、広瀬の舌が肩の付け根を滑っていく。反対側、正面から咲子の唇が吸い付く。なんか違いませんか!? 受け攻めに固執しないのが現代の風潮ですか!? 今回は事情が事情だけに、そんな自由度は必要ないんです、ご了承ください。

「ご了承ください! ほんとに! ね、ねえ、話聞こうよ……うんっ!」

「希理さん、ここ好きなんやろなっちずーっと思いよったんよね。うちの、いっぱい苛められたし」

 広瀬が後ろから引っ掻くのは、わたしの胸の先端だ。ええ、どうせ性感帯だって地味ですよ! 自分が感じる部位を他の子相手でもつい入念に攻めてしまうのは仕様ですよ! 力の限り捲くし立てようとするが、咲子も広瀬の真似をして、わたしの弱みを爪弾く。

「もう、希理さんがなっちゃる? 『あずきとがれ』。硬くて敏感な小豆、たくさん可愛がられる妖怪……」

「わたしがなってどうすんの! それに、良く考えると、そんな総受け妖怪が民俗学上に存在したらまずい気がしてきたよ! 柳田国男に謝ろう! 今からでも遅くは、い、ったぁ……」

「こんなにおっきさせちょんに、説得力ないやん。咲子さんもそう思わん?」

 爪を立てられて涙目のわたしに対し、当初のあずきとがれ候補は艶やかに笑むのだった。もしかして広瀬とぐるなんじゃないか、この子。広瀬が引き伸ばしたのとは逆の乳頭を楽しそうに詰り、硬く育む彼女を見るにつけ、わたしの中に危機感が生まれる。まさかね。軌道修正すればいいだけのことだ。こうなったら二人まとめて可愛がってあげる! 

「らめええええ」

 思わず口を塞いだ。今『現実で言うわけないよね、あはは』みたいな台詞が出ましたよ!? 恥ず! 犯人は私の果肉をふたつ指で摘み、幽かに擦り動かしている。小豆を磨ぎ慣れた熟練の技巧を、現在身を持って体感中です! べ、別に乳首弄られたくらいでされるがままになるなんて有り得ないんだからね! 現代用語の基礎知識に載っている、既に食傷気味のあれ風ですね、わかります。体は素直です、悲しいです。

「その子じょうずなん? 希理さん、ひくんひくんしちょる……うちが支えちゃりますね」

 広瀬の腕が腋の下へ回り、背後からわたしを軽く引き起こす、もとい羽交い絞めにする。いつの間に脱いだのか、背中には広瀬の胸が直接押し当てられている。追い縋るように咲子も半身を起こし、一方の粒身を転がしながら、他方を唇で含んだ。肌が冷たいにも関わらず、口内は生っぽい温かさでわたしを迎え入れる。ぬめる舌が伸び、わたしの頑なさをのったりと挫いた。

「んぁっ! ね、みんな落ち着こう!? 具体的に言うと広瀬はわたしを放そうよ! 放し、んぅ、むぐ」

「うちも、希理さんが感じちょんとこ見ちみたいき」

 広瀬は腕を捕らえた状態で、更に両手を使いわたしの口を覆った。当初の目的はどこへ!? 小豆とぎを小豆とがれに変更して退治する話だったよね、確か! それが、性的な意味で結局とって食われてるのはどういうこと!? しかも肝心の広瀬が裏切る始末。あの、横から表情確認するのやめてもらえませんか。言いようのない恥ずかしさです。鼻で一生懸命息している辺りが、体の昂ぶりを白状していますともさ。悔しくて広瀬を薄く睨むけれど、乳首に歯が立った瞬間目を瞑ってしまう。

「気持ちよさそうやね。そしたらうちは、も一箇所ある小豆でも磨いちゃりましょうか……?」

 耳孔へ甘く吐息を吐きかけ、広瀬が尋ねる。暗喩が何を意味するのか流石に分からないではない。咲子の手がわたしの片足を持ち、彼女の下半身を跨ぐ姿勢を取らせる。息ぴったりだねあなた方! 申し訳程度にまとわりついていた襦袢も取り払われ、わたしの翳りが晒された。

 咲子がそこを触ってくれるなら手っ取り早いのに、服を脱がせた彼女の手は、わたしの腰を撫でている。本職らしく磨ごうよ! わたしの乳首吸ってないでさ! 腰を揺すって態度でせがむのを、二重の意味で冷たい手が無視する。幽霊の分際で焦らす技術とかですね、あのう、勘弁してください。

「咲子さんはしちゃらんみたいやき、うちもやめとこうかなー。希理さんがしていいよっち頷いちくれたら、この手どけて、希理さんの大事なところ可愛がっちゃるんやけど……それとも、やらしい腰遣いしちょんけん、わざわざ確認いらん?」

 味方のいないわたしに、すっかり味方ではなくなった広瀬が意地悪を言う。あなた調で言うならば、許しちゃらんですか。お腹の中に蟠っている発情が垂れて咲子の腿へ落ちる。足を閉じるのには咲子が邪魔で、咲子をどけるには広瀬が邪魔で、感じているわたしがわたしにとっては一番の邪魔だった。腰がくねる。広瀬の視線が、腰の動きからお腹の奥の様子を探っている。薄情な元小豆とぎは、わたしの胸の突起を揶揄しながら、股の間から伝う雫を見つめている。我慢の出来なくなったわたしの首が、勝手に縦に振られた。

「させちみたらなんかどきどきやね、おねだり」

 浮ついた声色で広瀬が呟く。彼女に解放されたわたしの体は、目前の咲子へしなだれかかった。二人して布団へ崩れる。猫の姿態めいたわたしのお尻をひと撫でしてから、広瀬の指が水辺に届いた。

「あ、はぁ……」

「希理さんのお豆さん、どこおりますかー」

 核を探して、広瀬の一本指が粘膜を弄り回す。そこに、無言で伸ばされた冷たい指が加わり、襞の隅々までふたりに探られる。わたしは咲子にしがみついて熱っぽい溜め息を漏らすことしか出来ない。

「んー、見つからん……」

「っ」

 探す気をなくしたわけではないだろうに、指は膣口に触れると、ゆっくり中へ潜り込んだ。久しく誰にも触らせていなかった部分は、たった一本の指でもきつく締め上げる。咲子が問題のものをつつくに至り、わたしは一層広瀬の指の形を意識することになった。

「希理さんごめんな? ここがうちの指放してくれんきに、そっちは咲子さんに任すことします」

「うー……一度食べた女子に食べられる敗北感……つ、次はそんな余裕も取れないぐらいに――」

 余裕がないのはわたしだった。咲子がわたしの恥ずかしい尖りを優しくなぞったと思えば、わたし自身が垂らした蜜をまぶし、丹念に磨ぎ始める。息が詰まる。咲子の背中に爪が食い込む。

「こんなとろとろにしちょって、強がらんでもいいけんね。次もうちがしちゃりますき。やって、希理さんが気持ちよさそうなの見よったら、うちも気持ちい……」

「訂正! 次はなしで! なし、でぇ……だめ、だめだから、広瀬が、浮気になるのも良くないからぁ……ひあっ」

 広瀬の指が陰核を押し出すみたいに裏側を抉る。半ば包皮から剥け出たわたしの快楽は、咲子の指の腹で或いは保護膜を被せ直され、或いは剥奪され、引っ掻かれ、擽られ、丹念に可愛がられている。

「女同士やったら浮気やないっち、希理さんが言うたんよ? それで押し倒したに……うちのこと遊びやったん?」

「お互い酔ってたよね!? ちがっ、言い訳じゃな……そこ、指を増やさない! 咲子も! ああもう、勘弁してよぅ」

 責められているのか攻められているのか分かったものではない。だからされるのは苦手なんだ。わたしはじゃんけんで交代、のように巧く切り替えられない。とは言え、追い込まれるのを楽しむ自分がここにいるのも逃れ得ない事実だった。

 『大丈夫、浮気にはならないよ』。そう言ったのはわたしだ、覚えてます。『難しく考えないでさ』、『辛い時は慰め合うのもいいんじゃないかな』、これもわたしだ。ちなみに辛いことは全然なかったので、慰めただけです。むしろ広瀬を抱きたかっただけです。最低だ!? 責められても文句は言えまい! ええ。自己擁護すら失敗ですともさ。

 そんな内部葛藤も、「心配せんでも困らせたかっただけやきに」の一言で解消される。良かった、単に攻められているだけか。

「良くないよ!」

「……うち、下手?」

「いや、そっちは良くって……咲子も上手だってば! 悲しそうな目をしないの! ていうか何言わせるの!」

「嬉しいけど、咲子さんも、かー。よーし、咲子さん! 希理さんのいかせっこで勝負や!」

「落ち着こうよ! あ、やぁ……」

 寄ってたかって愛された末、そのまま四日目の徹夜に突入する羽目になったのであった。落ち着こうよ、頼むから。

 ■ ■ ■

 雀がのどかに歌い、磨り硝子は朝日を透かしている。わたしの疲労を度外視すれば安穏たる朝だった。空調を回し続けたにも関わらず、布団もわたしも広瀬も色々な液体でぺたぺたしていて、この状態で寝るのは少々宜しくない、しかし四の五の言わず寝てしまった方がいい、等々問答している折、いつの間にやら咲子が不在なのに気付いた。あずきとがれになってもらう予定は完膚なきまでに失敗したと思う。そうなると、今夜も例の音で煩わされるのだろうか。もしくは計画を再施行? 流石に体力が持ちません。

「希理さん、寝らんの?」

 横になった広瀬が問う。乳房の隙間で汗だか唾液だかが光った。平素なら煽情的に映るそれも、性欲が空っぽになっているとあまり喜べない。

「うーん……汗流そうかな……」

「うちが洗っちゃりましょうか? 全身優しく」

 広瀬の手の感触を思い出して赤面余儀なくされる。わざとらしい咳払いで誤魔化し、そういえば、と話題の転換を図る。

「咲子は結局小豆とぎのまま? 九割わたし受けみたいな状況だったから、広瀬の『あずきとがれ』理論でいくと、している側は小豆とぎ扱いになるよね。それって現状維持?」

 要するに、咲子に対する広瀬の見解を求めた。そもそも広瀬が台本を守ってくれれば話は早かったと考えるも、まあ、頑張ってもらったからいいんです。眠たいですが。

「えっとな、実は咲子さんっち『あずきとぎ』でも『あずきとがれ』でもなかったらしいんよ。本分で満足したき、しばらく出てこんっち自分で言いよったよ」

「本人談かよ! 親切だね!?」

 兎にも角にも、一応の平和は手に入ったようだ。わたしは一気に安堵して布団へ倒れる。が、そうなると新しい疑問が浮上する。

「……じゃあ、咲子は何者だったわけ?」

「『吾伽好き』」

「は?」

 広瀬の告げた単語の意味が伝わらなくて、わたしは間の抜けた声を返す。彼女は注釈をもたらした。

「『あずきとぎ』やなくて、『あとぎずき』やって。意訳すると『私はいやらしいことが好きです』っちなる。ただのえっち妖怪さんやね」

「どんな妖怪だよ! そんなの聞いたことないよ!」

 四徹してそんな落ちですか。責任者出て来なさい、白くま奢らせます。しかしわたしの突っ込みを受けた広瀬は、のんびりと彼女の意見を述べるのだった。

「うちが『あずきとがれ』を書いたのと同じに、もしかしち、どっかの誰かが書いたんかもしれんよ? やったら『吾伽好き』がおってもおかしくないきね。妖怪の正体は『物語』やもの」

「納得いかないってばー……」

 お風呂に入る気力もなくして、わたしはぐったりする。

 もしわたしがそんなへんてこ妖怪を主題にした小説を見かけたなら、その時は絶対、作者に白くまを奢らせることにします。

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