【ゆうびんやさん/デリバリ・サティフィケット】

 他意はない。他意はないのだ、本当に。私に叱られた小西は、いつも通りのふざけ顔で笑っている。だから私もいつもと変わらない態度で諭す。私は小西の保護者みたいなものであり、彼女の悪戯を嗜める行為には、それ以外の特別な感情など挟んでいない。何ひとつとして。

「だって、サコたんの胸が揉んで揉んでって言ってるんだもん。あきらが悪いんじゃないもーん」

 悪びれずに彼女が言う。被害者の迫谷は、胸元をテキストで隠してこちらを見ている。胸の声は知らないが、当人は羞恥半分困惑半分といった体だった。揉んで欲しいと思っている態度ではない。

「いいから謝りなさい。第一、ひとが嫌がることをしちゃダメでしょ。そんなに触りたいなら」

「みゃーこのおっぱい揉んだ方がいい?」

「馬鹿なこと言ってないの。自分のでも触ってなさい」

 素っ気なく返す私は、動揺を隠せているだろうか。動揺? 私が何に動揺すると言うんだ。我が事ながら意味がわからない。小西は私の顔を見上げ、意地の悪い笑顔を浮かべる。きっと良からぬことを考えている。

「うんうん、みゃーこってばえっちな声出すしね。あきらに触られたら感じちゃうから、怖いんでしょー? そういうの、そーじゅくって言うんだっけ。みゃーこは体つきだけじゃなくて心までエロ」

「小西!」

 苛立ち交じりの声を上げた私に対し、小西が面食らう。本気で怒っているのが伝わったらしい。そうだ、私は怒っている。何に? 小西がふざけたことを言ったから、語気を荒げたんだ。そうに違いない。

「あの、美夜子ちゃん。私はそんなに気にしてないから、あんまり怒らないであげて」

「そ、そだよ。それに、あきらは冗談言っただけだしぃ」

 ふたりして私をなだめる。おかしくはないか。私はただ、小西がいけないことをしたから、間違いを正しているに過ぎない。同性の戯れとは言え、みだりに胸なんて触るべきではないんだ。どんなに近しい間柄でも、どんなに親しい友人でも。

「とにかく。謝りなさい、小西」

「うー……サコたんごめんね」

「まぁ、慣れっこって言ったら嘘になるけど……許してあげる。あ、もし触りたくなったら触る前に言って欲しいな。それなら驚かないと思う」

 迫谷がズレたことを言っているものの、一応の和解となった。大体、ふたりにとって小西の悪戯は日常茶飯事だ。私がいちいち怒る必要性は薄い。今までだって看過してきたはずなのに、なぜ私は目くじらを立てているのだろうか。最近の自分の行動原理が、不明瞭だ。

「でもそれだとイタズラにならないしぃ……ん? むっきーは逆に恥ずかしがるかも! あきらってあったまいー!」

「どこがよ」

 呆れて嘆息する。小西は一度過剰なスキンシップを受けて、身に学んだほうがいい。しかし彼女には揉むほどのバストが備わっていない。平たくなだらかな胸部は、掴むことも適わないはずだ。その上に乗った桜色の突起なら、かろうじて摘むことが出来るかも知れない。小西が反省するぐらい、指の腹で縒って、甘い声で泣き言を告げるまで、やわらかく押しつぶして、尖り切ったら、今度は唇に挟み込む。舌を押し当てて味蕾に彼女の味を

「みゃーこ?」

「な、何!?」

 呼びかけで我に返った。私は今、妙なことを考えていなかったか。小西が心配げに私を見守っている。表情は真剣みを帯びている。

「……もしかして、ほんとに怒ってる? みゃーこがそんなに怒るなら、あきら、もうしない……」

「大げさね。ほどほどにしなさいってことよ。アンタが迫谷を傷つけようと思ってやってるんじゃないのは分かってるわ。かと言って、嫌われるのもいやでしょ? この頃の小西はやり過ぎだと思うわ。迫谷の気持ちも考えないとね」

「うん……」

 意気消沈した彼女を見て、心に罪悪が影を差す。誰の気持ちを考えるって? 私は迫谷を慮って発言をしているのか。自分本位になっていないか。嫌がっているのは、本当に彼女?

 場の空気が重くなる。こんなのは、変だ。たまたま移動教室中だった迫谷めがけて、小西が走っていっただけだ。慌てて追いかけた私が、くだらないちょっかいを見せ付けられただけだ。それなのに生徒の行きかう中で、三人の間のみ奇妙に淀んだ気配が立ち込めている。悪いのは私? 有り得ない。私は当然の指摘をしたまでだ。ならば、この気まずい雰囲気は何だ。この胸を覆った靄は何だ。雑踏と時間ばかり過ぎていく。早く動かないと。

「あれ、みんなどうしたの?」

 静かな声が疑問を投げかけた。私はそちらを見やり、彼女の端整な顔立ちを認める。不思議そうな顔で、保崎は私たちを臨んでいた。

「どうせあきらがしょーもないことしてしょっぴかれたんやろ。これやからチビはあかんわ」

 並んだ土畑が肩を竦め、小西を小馬鹿にする。一瞥してみれば、小西は両手を握り締めて震えていた。

「んなっ……茜、ちょーうざいんですけどっ! いきなり出てきて何様!? あんたの言葉、そっくりそのまま返してやる! このチビ!」

「あ!? この場にアンタ以外のチビがどこおんねん!? おまけにハゲとりますねー。あかんあかん。最悪やでー」

「てめー表に出ろ!」

「もう出とりますー。喧嘩の売り方不細工なんと違いますかー?」

 言葉と体で鍔迫り合いするふたり。額同士を密着させて、至近距離でガンを飛ばしあっている。ああ、これなら普段の通りに対処出来る。

「じょうと――ちょっとみゃーこ!? 離して! あきら頭に来たんだから! 今日こそコイツにどっちが背高いか思い知らせてやるんだからぁっ!」

「はいはい。小西の方が少しだけ高いわね。でも、小さいことにばっかり拘ってると、伸びるものも伸びなくなるわよ」

 小西を羽交い絞めにして、土畑から引き離した。私の手の中で彼女はもがくけれど、生憎普通の女の子が逃れられるほど、やわな捕らえ方はしていない。合気道。殴り合いを未然に防げたなら、これも護身の術と評せるかも知れなかった。

「ざまぁみぃ! 大体自分のが背ぇ高いゆうけどな、ウチが本気出したら背かて胸かてバーン! ボーン! やで! 今は力をセーブしとるだけ……ひゃんっ!」

 黄色い声が上がる。理由はそっと背後に忍び寄った保崎だった。多分耳元へ息を吹きかけたのだろう。緩く絡んだ腕に抱かれ、土畑は三割増しで小さくなった。

「へー、そーなんだ。つっちゃんすごいね。あたしつっちゃんがそんな特技隠してるなんて知らなかったよ。あたしより背も伸びて、ここもおっきくなるんだ。どれぐらいになるの? 身長と体重とスリーサイズと、あ、バストに関してはトップもアンダーも両方言ってね。まさか嘘って言うオチは無しだよ?」

 保崎の手が土畑の胸に添えられ、僅かに蠢く。土畑も振り解けばいいのに、ただされるがままになっている。

「んっ、嘘、ちゃうぅ……ただな、ここやったら人いっぱいおるし、あっ、やぁ……み、見せられ、へんねん」

「そっか。なら、今度ふたりっきりの時に見せてね。それともあなたが見てみたい? ね、ヒロくん」

 保崎の視線を追うと、居合わせなかったはずの大広が立っていた。茹で上げたように真っ赤な顔をしての硬直姿勢だった。保崎に声をかけられて、魔法が解ける。

「ややややややだな保崎さん! 俺、ツッチーの裸とか興味ねーし! ……いや、ごめんツッチー。そういう意味じゃねーから睨むなってば。悪かったって」

「ヒロ……あとで奥歯ガタガタ言わせたる。覚えとき」

「じゃああたしは、今つっちゃんの歯をカチカチさせちゃおうかな」

「だ、だめやって、保崎さぁん。ほんま、ほんまにぃ……やめぇ言うねんこのダアホっ!」

 元々力の無い拘束は、簡単に失効した。保崎の手から抜け出して、土畑は肩を怒らせている。保崎は笑顔を湛えて彼女を見ていた。

 気づけば、重苦しいムードは払拭されている。有り難い助け舟だった。変な方向にこじれなくて良かったと安堵する。やっぱり友達はいい。壊れかけても全部元通りにしてくれる。もうおかしなところは何ひとつない。別に私は辛くない。辛い? 私は一体どこを辛いと感じたんだ。

「何してるの皆。授業もうすぐ始まるよ」

「そうそう、凛の言う通り! 茜とあきらの口喧嘩、四組まで聞こえてたよ。みんな仲良くねっ! それで、今度ラーメン食べに行こっ! また美味しいお店見つけたんだ。あっさりスープの中に魚ダシの味わいがすごくってねー」

 柳本を引き連れて、歌田が登場した。わざわざ一組の前に来たあたり、本当に声が筒抜けだった可能性は高い。

「歌田ちゃん、ラーメンの話じゃなくて」

「凛は北海道チーズバターラーメンね! あ! でもチーズとバターが一緒に入ってると、違いがわかんなくなる時ってない?」

「あの、歌田ちゃん」

「凛は区別つく? 凛なら大丈夫かな。だって凛はチーズ好きだもんね。よし、ついでにラーメン屋さんにあるチーズで利<キ>きチーズしよっ!」

「あの」

「じゃ、そういうことで! みんな、またお昼に会おっ!」

「……」

 もの言いたげな柳本の手を引いて、歌田は走り去った。相変わらずマイペースな子だと思う。しかし今は私たちのペースを正す時だ。腕時計が、迫る始業を知らせている。

「そうだよ! 優がおせーからさ、呼びに来たんだった。他の班、もう準備はじめてっぞ」

「ほんと!? ごめんね睦希ちゃん。急ごっか」

「いや優、そんな限界ギリギリの競歩するぐらいなら素直に走――って早っ! ま、待ってくれってば」

 生真面目に早足で追いかける大広。迫谷との距離が開く一方なのは、ちょっとおかしかった。

「ほんならウチらも教室戻ろか。まぁ移動教室も無いし、なんや急ぐことかてないな」

「つっちゃん、小テストの予習してる?」

「してへんっ!?」

 たちまち隣の教室へ駆け込む。多分間に合わないだろう。保崎は笑顔で見送るだけだ。彼女のことだから、テスト範囲の確認すら不要に違いない。

「……海老ちゃんさ」

「?」

 土畑の後ろ姿から、私へと目線を移す彼女。表情は真顔で、真面目な話をするつもりに見えた。唇が揺れる。私を咎める言葉を発する。

「それでいいの?」

「なに、が?」

 保崎は時々、意味の分からないことを言う。現状のどこに不満を持てと言うのか。言い含められたところで、該当する案件などひとつとしてない。私は何もおかしくない。

「とりあえずあきちゃんを放してあげたら?」

「そ、そうね。ごめんね小西」

「別にいーよ。みゃーこに抱きしめられるの、好きだし……」

 放した。すぐに放した。そうして自分の愚かさに気づく。小西はそういう意味で言ったわけではない。私はそういう意味で彼女を包んでいたわけではない。そうだ、私は喧嘩を止めるために彼女を抱いていたんだ。小西が大切だから、小西を守るために、手を使っただけだ。他意はない。小西へ触れることに、保護以外の意味合いは皆無だ。保崎が見ている。冷めた視線が私を抉る。止めて。私の心<ナカ>を探らないで。

「海老ちゃん。『それ』、誰が決めたの?」

「私が決めたのよ!」

 叫んで、口を覆った。おかしい。さっきまで全部正常だったのに、保崎が私を壊す。止めてよ保崎。私たち友達でしょ? 私の『それ』に触らないで。放っておいて、お願い。

「え……みゃーこ、何の話?」

 小西が私を見つめる。どうしてそんな目をするの? 変だ。私はアンタに対して何も隠し事はしていない。何も心配をかけるような真似はしていない。しない。絶対にしない。だからアンタは気にしないで。私がアンタを守るから。私はアンタの深い穴を埋める土。アンタの傷を癒す薬。大丈夫、大丈夫だから――私を見ないで。

「何でもないわ。授業の準備をしましょ。保崎も、油断は命取りになるわよ。少しくらい見直ししておけば?」

「勉強は答えがあるからね。正しい解を当て嵌めて、丸を貰うだけの作業だよ。備える必要もないかな。でも……海老ちゃんの『それ』は最適解? 採点するのは誰だと思う?」

「少なくともアンタじゃないわ。行くわよ小西」

 保崎を直視出来なかった。後ろめたかった。保崎には釘を刺さねばならないと感じた。口を封じなければならないと感じた。小西の手を掴んだ。引き摺るように教室へ戻った。私は逃げた。

「みゃーこ……痛い……」

 慌てて力を抜いた。私は子供か。子供だ。保崎につつかれてボロを出す、脆くて杜撰な生き物だ。もっと封をしないと。瓶詰めした私の真実を、私の中から出ないようにしなければ。硝子ではなく、鉛で。コルク栓ではなく、溶接で。絶対に逃がさない。『あれ』が私の外を目指すなら――殺してやる。

 不意に、小西の手が伸びた。私の右手人差し指を握った。『あれ』に使われた私の指を握った。

「みゃーこ? 何か辛いことがあるなら、あきらが話聞くよ?」

 無い。そんなものは無い。私は何もしていない。『あれ』はただの事故だ。大丈夫、大丈夫だからね、小西。もう二度と『あれ』なんてしないから。指が震える。『あれ』が私をそそのかそうとする。小西を欲しがっている。汚い、汚い汚い汚い汚い汚い汚い!

 まだ綺麗な左手で、彼女の頭を撫でた。

「大したことじゃないの。そんなに深刻そうに見えた? ごめんね。小西に心配されるなんて、私もまだまだかしら」

「えー、何それ! まるであきら、手間のかかる子供みたいじゃん!」

 そうね、そうなのよ。アンタは私の大事な大事な娘なの。私はアンタの母親代わりなの。私の『それ』。アンタを守るという役割。保崎は勘繰りすぎだ。私の機能は『それ』で足りている。誰にも邪魔はさせない。私自身にだって、許さない。

 返す言葉を迷っていたら、チャイムが幕を引いてくれた。

 私の人差し指は、ひとりになった。

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