【ヒミツアソビ】

 空には薄茜が掛かっている。図書館も仄かなオレンジ色に染まり、一日の緩やかな収束を告げていた。校庭から運動部の声が聞こえる。掛け声に交じるバットの金属音で、ソフトボール部の練習がまだ続いていることが分かった。「今日は長引きそう」という歌ちゃんの発言は正しかったらしい。

 図書カードの整理を終えたあたしは、館内を点検しているはずのクラスメイトを探した。全体を見回る必要もなく、彼女の叫び声でその位置に気づく。

「だぁーっ! 片付けくらいちゃんとせぇ!」

 関西訛りで毒づく少女は、書架の陰で苛立ちの表情を浮かべていた。床に積まれた数冊の書籍が不快感の原因であるようだ。

「つっちゃんどうしたの」

「どうもこうもあるかい! 調べ物してたんか知らんが、図鑑ばっかり山積みしよって……机の上に置きっぱや。片付ける方の身にもなってみぃゆうの」

 マナーの悪い利用者はどんな公共施設にでも存在する。学校の図書館などその典型的一例だ。心身共にお子様の人間は教養に先んじてモラルを学ぶべきだと思う。同じ中学生として恥ずかしいし、我が身に火の粉が降りかかるなら尚更だ。

「手伝うよ」

「……おおきに」

 すまなそうに告げるつっちゃんの隣でしゃがみ、分類番号を確認する。030(総記:百科事典)でまとまっていれば話は早いが、生憎400台(自然科学)、600台(産業)まで含んでの7冊だった。戻すのが面倒になる気持ちも理解出来るけれど、納得はしない。誰かが手間を惜しんだぶん別の誰かが損をするのだから。

 離れた棚へ入れるべき三冊を取って、本棚の間を縫っていく。本の厚さゆえに分かりやすいスペースが空いており、大した労なく戻し終えた。ついでに各本の並びをチェックしながら、つっちゃんの元に向かう。とっくに次の仕事へ取り掛かった彼女は総記の所にはいなかった。四の五の言っても律儀なひとだと感じる。

 窓の鍵を掛けていると、726(漫画・風刺画)の場所でつっちゃんを見つけた。読書離れを防ぐためか、うちの中学校には結構な量の漫画がある。人気の棚は入れ替わりが激しく、ずさんな状態にされていることも多い。726はその代表であり、つっちゃんはシリーズや巻数の入れ替え作業に追われている。眉間の皺は面倒具合のバロメータだ。かと言って手を貸すとスペースの都合上かえって邪魔になりそうだったから、大人しく施錠を続けた。

 戸じまり良し。つっちゃんは相変わらず漫画と格闘している。椅子に腰かけて奮闘ぶりを眺めた。忙しく動く手、揺れるツインテール、小柄な体。つっちゃんを見ているのは楽しい。それはあたしが動物好きなのと――何より彼女を好きな証拠。

 ようやく本の乱れを片付けて、つっちゃんが立ち上がる。あたしの視線に気づいた彼女は、一瞬目線を合わせたあとそっぽを向いた。

「仕事せぇ」

 尖る唇に責められても、ないものをやれる道理はない。

「つっちゃんのそれでおしまい。残りはあたしの使ってる椅子を戻すことと、扉に鍵を掛けることかな。お疲れさま」

 ねぎらいの言葉を受けて、つっちゃんは額に手を当てた。中身を解すように二度三度と頭を振る。

「昼休みはええけど、放課後はあかんわ。長時間じーっと返却待たなならんし、終わったら終わったで整理整頓……他人の尻ぬぐいなんぞしたないで。やっぱり貧乏クジや。しんどいなぁ」

 正論と溜め息を吐く彼女。あたしはつっちゃんと長くいっしょにいられることが嬉しいけれど、彼女はそんな感情を持ち合わせないみたいだ。どちらかと言えば嫌われている節もあるが、自分の手の中に収まらない猫を段々懐かせていくのもまた楽しい。

「でもつっちゃんのお陰で早く済んだよ。ありがとね」

「早いもんがあるかい! あー最低や。最低や。仕事はつまらんし、よりにもよってアンタとふたりっきりや。いっそうつまらん。おもろない」

 ぶつくさ呟く彼女の頬が赤いのは、あたしの感謝で照れているからだ。つっちゃんは照れ隠しにすぐ悪態を吐く。そこがとても可愛らしく、そしてからかい甲斐がある。あたしは椅子を整え、後頭部で腕組みする彼女に近づいた。背後から寄り添って腕を回す。

「わひゃっ!?」

 頓狂な声を上げる彼女を捕えたまま、あたしは頭を傾けた。彼女とは10cm以上身長差があるので、こうしないと――横顔が良く見えない。

「や、やめえ! 気色悪いことせんと」

「そんなにつまらない?」

 わざと耳元で尋ねる。吐息はきっと彼女の耳をくすぐっている。暴れれば容易く逃げられるのに、彼女は小さく収まった状態だ。

「あたしといると退屈?」

「そこまでは、ゆうてないけど」

 やけに小声でつっちゃんが答える。態度には多少の申し訳なさが含まれていた。あたしが傷ついたとでも思ったのだろうか。傷つき方なんてもう忘れてしまっているあたしが。

「言ったよ。あたしのことが邪魔みたいに言った」

 いちいち揚げ足を取って彼女を虐める。つっちゃんの体がどんどん小さくなる錯覚を起こす。

「え、あ……ちゃうて。そんなんものの弾みやん。保崎さん仕事早いし、その、頼りになるし……ぜんぜん邪魔とかない……」

 震える唇がフォローする。あたしは桜色のそこへ人差し指を伸ばし、ゆっくりと輪郭をなぞった。今の一言で十分満足だったけど、他者のいない状況があたしを大胆にさせた。素直な弁明を聞かないふりして、自分の意見を聞かす。

「お詫びに面白いことしようか」

「なにゆってんの……んっ! こそばい、やんかぁ」

 つっちゃんの瞳がきつく閉じられる。指はあたしの腕に絡んだ癖、行為を留めることもしない。早く止めて欲しい。さもないと歯止めが利かなくなる。今のつっちゃんが子猫なら、あたしは豹で、獣だ。

 唇に触れた指を更にナカへと進める。つっちゃんの舌先があたしの爪を舐めたのは、意図せずしたことに違いなかった。指が甘く痺れて、もう動かない。だからこれ以上は止めた。慎重に手首を動かして指を抜いた。緊張した息を漏らす彼女。視界をとざして耐える姿は、ファーストキスを前にした女の子みたいだった。そう思った次の瞬間には願望が口を突いていた。

「ねえつっちゃん……キスしていい?」

 突然の申し出に彼女は肩を竦ませる。瞼が次第に上がり、濡れた目があたしを見つめた。否定とも肯定とも取れる色だった。

「冗談やろ?」

「冗談」

 笑顔で言ったあたしの前で、つっちゃんの顔は見る間に赤くなる。まだ冗談で済ますことが出来て良かった。つっちゃんが逃げなかったことも嬉しかった。あたしの内心など露知らず、彼女は腕を振り解いて向き直った。

「このハゲ! ひとの気も知らんと――」

 それきり言葉に詰まる。台詞の真意はしばらく読めず、分かった頃には出口へ向かう彼女の背があった。

「さっさ出ぇ! 閉じ込めるぞ!」

 怒った風につっちゃんが急かす。あたしは棒立ちになりそうな所を必死で歩いた。彼女はあたしを嫌っていないのか。さっきの発言を反芻すると、嫌うよりはむしろ……?

 無言で図書館を出る。鍵の掛かる音が聞こえる。いつになったら撤回してくれるのだろうか。あたしは彼女の軽口を待っている。僅かに濡れた指先がジンと疼いて、熱い。

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